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5章 各界で活躍する卒業生(10)完

スポーツ界

若者の巣立ちに喜び

「まだまだ現役」と若い人の練習を受ける平石五雄=静岡市千代田5丁目
 「(引佐の)山を越えた先にいいことがあるように思った」。静岡市千代田五丁目で「平石ボクシングジム」を経営する平石五雄(63)=53回、引佐町別所出身=は卒業したころを振り返る。

 サラリーマンをしながら念願のジム通い。昭和三十七年、静岡市鷹匠の勤め先の倉庫を、勤め先に関係していた元衆院議員足立篤郎の好意によって借り受け、手作りのリングをスタートさせた。

 中学生の時、プロの興業を浜松演芸場で観戦してとりこに。「攻撃と防御を使い分けながら闘志をぶつけ合う魅力」と話す。四十三年に現在のジムを自宅一階に開設した。多数の若者が巣立った。

 「勉強はしなかったけどスポーツは万能、弁論大会にも出て楽しい高校生活だった」。親から農業を継ぐようにいわれたが、満足できず、専門学校に進んだ。

 県中部地区の同窓会づくりにも奔走し、昨年六月、およそ二十五人により「静清志太支部」(秋山=旧姓渥美=恒雄支部長、47回、静岡市古庄)を発足させた。

 競艇選手の大場敏(34)=旧姓渥美、82回、機械科20回、浜松市松城町=は二十一歳でデビューし、七年間、A級の地位にある。

 野球部でレフトを守るスポーツマンだった。三年間の野球部活動で頑張りを身に付けた。卒業後、サラリーマンをしたがなじめず、先輩の勧めで競艇選手に。

 「自分の努力次第で成績と収入が上がる。やりがいがある天職」と強調する。

 佐々木康幸(27)=89回、浜松市渡瀬町=も競艇のA級選手。出席日数が足りず、中退も考えたが、サッカー部の顧問から続ける辛抱を教えられた。「身に付いた根性はいまでも財産」

(文中敬称略)
 

掛中・掛西百年史 榛原高100年史 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年

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