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6章 名物教師(6)完

校外の恩師「満州ばあさん」


引佐高卒業生の選挙のため、先頭に立つ在りし日の鈴木しげへ(右前)
 教師ではないが、引佐高卒業生の記憶にひときわ強く残っている“恩師”がいる。学校のすぐ東側に居を構え、登下校の生徒たちに礼儀や人の道を説いた「満州ばあさん」。戦中戦後には遠方から通う生徒を預かって世話をし、昭和四十四年に八十四歳で死去した鈴木しげへ。引佐高のために寝食も忘れて飛び回り、生徒に限りない愛情を注ぎ続けた鈴木は、間違いなく「学校の外にいる恩師」だった。

 国道257号沿いに鈴木が住んでいた家が今もそのまま残されている。戦中から戦後にかけてこの家に下宿した荻野貞巳(71)=44回、浜松市三方原町=は、はっきり物を言うしつけの厳しい鈴木が、「実は本当の祖母のように優しく、温かかったことを今もまざまざと思い出す」。

 満州ばあさんという呼び名は、鈴木が当時の国策の「満州開拓青少年義勇軍」に心血を注ぎ、何度も渡満しては子供たちの世話をしたことから付けられた。愛情深く世話好きな性格。引佐高でも勝手に学校の応援者を自任し、大きな声で生徒にげきを飛ばして回った。

 彼女について、荻野には忘れられないシーンがある。荻野が二年生に上がるころ、新任の戸塚半十郎校長=故人、昭和二十―二十三年に在職=が下宿に加わった。毎日、三人で食卓を囲み、サツマイモとすいとんだけの食事を分け合って食べる。親元を離れた荻野には、それがまるで本物の家族のように思われた。

 こんな満州ばあさんが巧みな政治力を使って引佐高の体育館建設を実現させた、という有名な逸話もある。昭和三十年代半ばに新体育館建設の県予算が削られそうになった時、卒業生の斉藤正男県会議員=当時、前出=とPTA幹部らが時の県知事の元へ陳情に行くことになった。そこに、もんぺにちゃんちゃんこ、わら草履姿の鈴木もつえをついてやってきた。

 早朝の知事公舎。鈴木は現れた知事の前にいきなり土下座し、「どうか、うちの学校の体育館を建てて下さい」と嘆願した。慌てた知事は「ばあさま、立ちなさい。必ず予算は付けるから」と約束してしまった。

 生徒をしかるのも励ますのも、体育館のために土下座するのも、学校を心から愛していたからできたのだ。それを知っているから、卒業生の多くは満州ばあさんの伝説を忘れず、後輩へ語り継いでいく。

(文中敬称略)
 

掛中・掛西百年史 榛原高100年史 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年

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