(2003年6月8日掲載)
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 第1章「校史T」
北安東に和風の学びや
 昭和12年に完成した和風建築の新校舎
 第一次世界大戦後の恐慌や関東大震災の打撃から完全に立ち直れないまま、時代は昭和に入った。昭和四年、米国に始まった世界大恐慌の波は資本主義諸国に及び、日本も深刻な昭和恐慌に陥った。六年の満州事変以降、教育に対する国家統制も次第に強化された。

 片羽校舎は大正六年と十一年の二回増築されたが、三十年を経て改築の時期に来ていた。昭和五年の学則の変更で五年制になり、生徒数は七百五十人に増えた。敷地を拡張して増築するか、新しい場所に新築移転するかが懸案事項になった。

 最初の候補地は曲金

 静岡高女改築期成運動などの後押しもあり、曲金にあった県立農事試験場を移転させ、その跡地の内、八千坪(約二万六千四百平方メートル)を利用することが決定した。九年四月には生徒数が本科千人、補習科五十人に増加し、校舎は飽和状態になった。式典は講堂兼雨天体操場で二回に分けたほか、図書館を普通教室に利用する状況になった。

 移転は年々繰り越し

 試験場の移転の遅れや県の起債認可が進まなかったため、計画は年々繰り越しになった。一方で通学に不便な上、学校周辺への工場の増加が予想されることなどから、「移転地として環境が不適当」との意見が強まった。

 数々の候補地を検討した結果、十年六月に当初から候補に上がっていた北安東(現在地)が環境や地形、地価などが適当と判断され内定した。敷地総面積は一万三百二十四坪(約三万四千平方メートル)。用地買収も完了し、十一年六月に工事入札が実施された。翌年四月の使用を目指し、七月三十日に敷地の西南部で地鎮祭が行われた。

 十二年三月下旬に本館や中館、西館、体育館が完成した。本館と中館は桃山時代末期の様式を加味した和風建築。当時の先生からは「おとぎ話の竜宮城を思わせるような堂々たる校舎」「観光ホテルのような感じ」などという声が上がった。

 同年五月二十八日に講堂で新校舎の落成式が挙行され、知事や県議会長、市長らが出席して完成を祝った。落成式の前後数日にわたって校内学芸大会や感謝祭、祝賀会、展覧会など多くの記念行事が行われた。多くの一般参加者が訪れ、学校と静岡駅の間で臨時バスが運行された。

 しかし、落成式から約八年後の二十年六月。空襲によって新校舎は焼失してしまう。

(文中敬称略)
―土、日曜日に掲載します―


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