| (2003年7月12日掲載) |
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| 第3章「学校活動」体操部(1) |
二十―四十年代にかけて全国大会の常連で、上位入賞も果たした。二十二年の金沢国体で音体クラブは準優勝、二十四年の全日本体操選手権大会県予選と東海大会を制し、東京国体は総合四位だった。 二十六年に全日本体操競技選手権大会で念願の全国制覇を成し遂げた。メンバーはキャプテン杉山三重(昭27卒、旧姓平沢)、森山房子(同、旧姓望月)、松野尾典子(同、旧姓馬淵)、加藤サエコ(同)、天野泰子(昭28卒、旧姓木村)、斉藤千代子(同、旧姓森下)の六人で、同年から新たに種目に加えられた団体徒手での快挙だった。同年の広島国体でも三位の好成績を収めた。 新体操の分野でも活躍が目立ち、日本を代表する選手を輩出した。四十八年度の総体で体操個人に水口順子(昭49卒、旧姓杉山)、明峰霞(同、旧姓石田)が出場。新体操個人では四十七年に県新人大会で優勝した大木美鶴(同、旧姓平口)が全国制覇を果たした。個人での全国優勝は初めてで、二年後の五十年にスペインでの新体操世界選手権大会では個人総合七位、種目別では輪で優勝を飾り、ボールで四位の成績を収めた。 四十九年度の総体では、新体操個人に成岡玲子(昭50卒、旧姓酒井)が準優勝、翌年は優勝候補に挙げられていた北沢由喜子(昭51卒)がリングを外に出してしまうハプニングで、九位に甘んじた。しかし、雪辱を期した三重国体で個人準優勝を果たした。 五十一年度の高校総体新体操個人で布倫代(昭52卒、旧姓太田)が準優勝。布は「中学の先輩だった平口さんがいたので城北を選びました。在学中は毎朝、浅間神社の山頂までランニングするなど、朝練や昼練など練習漬けでしたが、竹原悠子先生と水鳥見香(昭40卒、旧姓大木)コーチの熱心な指導が大きかった。二人のおかげです」と振り返る。 布は大木に続き世界を舞台に活躍し、五十五年の四大陸選手権リオデジャネイロ大会で個人総合優勝、種目別では帯状布、縄、輪の三種目で優勝を飾った。翌年のミュンヘンで開催された新体操世界選手権大会では個人総合二十二位になった。 (文中敬称略)
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