(2003年7月20日掲載)
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 第3章「学校活動」ハンドボール部(1)
32年の静岡国体で優勝
静岡国体で初優勝を飾った選手ら=昭和32年

 昭和十五年に陸上部とバスケット部の混成チームが神宮大会県予選に優勝し、出場権を獲得。明治神宮体育大会の準決勝に進出して敗れた。翌年、正式に鍛錬部の一つとして送球部が発足し、十七年の県下女子中等学校送球大会で優勝した。

 二十二年の第二回石川国体では、選手は部員だけでは足りず、バスケット部との混合編成で臨んだ。翌年の福岡国体は送球部員だけの単独チームで出場し、準々決勝に進出。優勝校になった大阪の高校に大敗を喫した。

 二十六年に全日本選手権大会に出場し、順調に進んだが、準決勝で1点差で惜敗した。東海四県国体地区予選決勝でも予想外の敗退をした。

 東西対抗予選を兼ねた東日本選手権大会でも決勝で敗れた。しかし、東日本二位として、全日本東西対抗の東日本代表としての出場権が与えられた。

 愛媛県で行われた東西対抗は雨中での戦いになった。接戦の末、西軍の覇者、岡山落合高を5―4で退け、念願の日本一に輝いた。「一瞬の勝利を信じることができず、スピーカーの声に初めてわれに返り抱き合い最善を尽くし得た喜びの涙に喜んだ」と、二十六年度の校友会雑誌「たかね」は、当時の様子を伝えている。

 県内では無敵を誇り、その後の全国大会でも上位入賞を果たした。四年連続出場した二十八年の全日本高校選手権大会では1点差で惜しくも準優勝だったが、全日本総合選手権ではオール山梨を破り全国優勝に輝いた。翌年も同大会で勝ち進み、二年連続二回目の優勝を飾った。

 三十年の神奈川国体では準優勝、全日本高校選手権では、翌年から二年連続三位に終わった。

 清水市商で行われた三十二年の第十二回静岡国体。監督の望月正が率いるハンドボール部は薮本京子(昭33卒、旧姓大石)、久保田妙子(同、旧姓真田)、大塚三保子(同、旧姓野田)、鈴木芳子(同、旧姓並木)、芹沢悦子(同、旧姓植村)、池田陸子(同、旧姓吉沢)、故匂坂敬枝(同、旧姓増田)、故松村励子(同)、牧田笳予子(昭34卒)らのメンバーで臨んだ。

 決勝の相手は前年の全日本選手権決勝、三十二年の東海四県大会決勝でも苦汁をなめた愛知の半田だった。延長戦までもつれ込むシーソーゲームだったが、8―7で念願の国体初優勝を地元で飾った。

(文中敬称略)
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