| (2003年7月26日掲載) |
<17> |
| 第3章「学校活動」ハンドボール部(2) |
昭和三十二年の静岡国体優勝後も全国大会では常に上位を占めた。二十五年から監督の望月正が率いたチームは十六年間に県内の大会では一敗しただけ。全国でも四年連続で全国制覇を果たすなど、黄金時代を築いた。 三十六年の秋田国体で準優勝、頂点を目指した翌年の福岡全日本選手権。決勝で熊本の高校を9―7で下し、念願の初優勝を飾る。全日本総合室内選手権決勝では社会人チームに惜しくも敗れた。 主将の田口幸子(昭38卒、旧姓川崎)は「『練習量ではほかに絶対負けていない』と試合前、望月先生に言われた。厳しい指導と先輩から託された全国制覇に向けて練習を積み重ねたことが勝因」と強調し、「チームワークが良く、努力のチームだった」と振り返る。 三十八年から各種目別に実施されていた全日本選手権が全国総体としてスタート。山梨の大会は前年優勝校として予選を免除され、二回戦から登場。決勝で栃木の高校を破り、再び全国の頂点に立った。山口国体でも決勝へ進出したが、惜敗した。全日本総合室内選手権では社会人の強豪チームと互角に戦い、三位の好成績を残した。 翌年は全国総体三連覇と国体との二冠制覇の期待が高まった。東京五輪があったため例年より早い開催となった新潟国体。全試合をダブルスコアで圧勝し、七年ぶり二度目の王座に輝いた。三連覇をかけた長野全国総体の決勝。前半を同点で折り返したが、後半三点を奪われて敗退して二冠を逃した。山本トシ子(昭40卒、旧姓落合)と石原房枝(同、旧姓松田)が全日本最優秀選手に選ばれた。 四十年の熊本全国総体では準々決勝、準決勝を延長の末、制した。決勝も一点差で振り切り、二年ぶり三度目の栄冠を勝ち取った。二冠を目指した岐阜国体では準決勝で敗れ、三位にとどまる。翌年の全国総体は準々決勝まで進出。一点差で敗退したが、国体準優勝の成績を収めた。 四十五年の全国総体で三位に入り、全日本優秀選手に川崎倶会(昭46卒、旧姓仁藤)とクシャジャニャク・エリコ(同、旧姓木内)が選出された。翌年の全国総体は通算二十回目の出場になった。四度目の優勝が期待されたが、三位に終わる。全日本優秀選手に森悦子(昭47卒、旧姓山本)と岩本裕美(昭48卒、旧姓池野)が選ばれた。 (文中敬称略)
|
| ―土、日曜日に掲載します― |