(2003年8月3日掲載)
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 第3章「学校活動」 生徒会(1)
自主的な取り組み実践

昭和20年代後半の生徒会代議員会

 戦後の学校生活の核を担った校友会活動。生徒らの主体的な取り組みが学校生活を築いた。その中で、生徒自治会は正課の授業に劣らぬ重要な位置を占めた。

 二十二年度版の指導要領で、生徒活動は民主主義教育の直接の担い手として重視された。生徒会会則や内規の原案を規約準備委員会で作成し、代議員がホームルームに持ち帰り検討。再び代議委員会で採択し、最終的には生徒総会で決定される形で次第に整備された。委員も衆議院議員選出をモデルにした仕組みになり、自主的な生徒会活動が実践されていく。

 二十六年度版の指導要領で新たに設けられた特別教育活動などの課外の生徒活動。生徒会や生徒集会が主な内容で、学校の正規の教育内容として教育課程に位置付けられた。ホームルームや生徒集会、クラブ活動などを「週少なくとも一単位時間をとることが望ましい」と時間が確保された。

 特別教育活動は戦後教育の歩みの中で最も充実した形で行われた。二十七年九月に生徒会新規約が成立し、民主的・自主的精神に満ちた生徒会活動が進む。新規約は代議員から選出された十人の起草委員が立案。大幅に簡素化され、内容も大きく改正された。

 大きな変更点の一つは規約第三条の「生徒会の目的」で、「全生徒の親ぼくを図り、将来の民主主義的平和的社会生活のよき基礎をつくるもの」とされた。当時の起草委員は「今までの規約は、いかにも先生に作られたようで、『学校生徒に必要な自主的行動』なんて。一番自慢できる個所が出来上がった」としている。

 十八年度以降発行が中止されていた校友会雑誌「たかね」が二十二年度に復刊。活版印刷五十三ページで、「校友会の活動」と題して文芸や音楽の各文化部や体育部の活動などが紹介された。

 三十二年の生徒会臨時代議員会で「たかね」を純粋な生徒会誌として発行することが全会一致で決定した。第一号は編集委員長関弥生(昭34卒、旧姓細川)ら六人の編集委員により、翌年三月に発行された。三年生が一言ずつ別れのメッセージを記したスタイルは第一号から登場した。

 女性情報誌の編集にも携わっていた関は「今思うと好きでやっていた仕事だと思います。現在まで『たかね』が続いているのはうれしい限り」と振り返る。四十一年度からは担任の似顔絵が「たかね」に描かれるようになった。

(文中敬称略)
―土、日曜日に掲載します―


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