| (2003年8月17日掲載) |
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| 第3章「学校活動」 バドミントン部 |
部は昭和二十七年に発足。五十八年に県総体団体で初優勝を飾り、全国総体へ出場した。単で堀江加奈子(昭59卒)が一位、複で堀江・永野由美子(同)組が二位。平成に入ると「平3総体」の単で森下奈帆(平4卒)、複で森下・長島志津香(同)組が出場した。 九年から十二年までは城北の黄金時代。単複で四年連続、団体で三年連続、全国総体に出場する成績を残した。 九年に県総体で団体と単複の三種目を制覇し、このうち団体は十四年ぶりの全国出場を果たした。原動力は八年に県新人戦で一位、東海選抜にも出場して県総体単で栄冠を手にした青山愛子(平10卒)。団体でもチームを引っ張り、富士宮東の五連覇を阻止した。複でも青山・仲野佳苗(同)組が優勝した。 三冠を達成した青山は「試合で負けたことが、自分の中で『もう負けられない』という気持ちに変わった。ほかの選手より『勝ちたい』思いが強かったのでしょう。この勝利はその後、活躍する後輩にもつながったのでは」と強調する。 十年、県総体で個人単で池田あゆみ(平11卒)、複で仲野輝美(平12卒)・望月知栄子(同)組が一位、池田・竹原美奈(平11卒)組が二位になった。団体は二年連続三度目の県女王となり、四試合すべてストレート勝ちを収め、新人戦との二冠にふさわしい貫録勝ちだった。落としたゲームも準決勝の一ゲームだけ。まさに圧勝だった。 翌年の県総体単で石川めぐみ(平12卒)、尾崎貴子(平14卒)、川嶋美保(平12卒)、仲野と一位から四位まで上位を独占した。複は仲野・望月組が二連覇、三位に川嶋・石川組が入った。団体でも頂点に立ち、三冠に輝いた。全国総体にも石川と尾崎、仲野・望月組がこまを進めた。 当時、顧問だった小田切希芳は「田中徹コーチや前顧問の協力があったおかげ。十一年のシングルスは準決勝から城北の生徒同士の戦いとなり複雑な心境だった。『先輩に追い付き、追い越せ』の気持ちが受け継がれていた」と振り返る。 十二年の県総体団体は惜しくも準優勝に終わったが、単で尾崎が一位、複で尾崎・小沢実早登(平14卒)組が優勝した。同年の富山国体少年女子には尾崎と小沢、望月裕理(同)が選ばれた。現在、尾崎が東海女子大、望月が日本女子体育大で活躍している。
(文中敬称略)
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