| (2003年8月23日掲載) |
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| 第4章「想い出」 |
江間章子さん「夏の思い出」作詞=昭4卒 夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空―。 戦後、日本人の心に希望を与えた「夏の思い出」。「少しでも人々に夢と希望が与えられる歌を」と、みずみずしい感性で江間章子(昭4卒)が初夏の思いをつづった。今では年間数十万人の観光客が、尾瀬水源の散策やミズバショウの観賞を楽しむ。 大正二年生まれ。感受性豊かな幼少時代を母の生まれ故郷、岩手県平舘村(現西根町平舘)で過ごした。小学六年のとき、兄の旧制静岡高(現静岡大)進学をきっかけに、家族で静岡へ引っ越した。「岩手と言葉が違い戸惑ったけど、盛岡から汽車で来たとき、窓から眺めた富士山は今でも忘れられない。海の近くに引っ越しできるとは夢にも思わなかった」 中学の先生に勧められ「片羽の県立」と言われた県立静岡高等女学校を受験し、合格した。在学時は文学少女で、母親に頼んで購入した世界文学全集や日本文学全集を読破。授業中、教科書で隠しながらこっそり読んでいたことも。「先生が黙って隣に立っていたこともありました。見て見ぬ振りをされていた。先生には申し訳ないけど、成績は苦にしない方だった。今は自分でも恥ずかしい。案外のんきでしたよ」 母親に連れられて、鑑賞した静岡での歌舞伎座の公演。「家に帰って興奮して眠れなかった。今でも鮮明に記憶に残る」。文化に触れる機会も多かった。 高校二年の夏休み。「芥川龍之介が自殺」というニュースが飛び込んでくる。新聞に残された三人の子供の写真が掲載されていた。「ニュースの真相は分からなくても、本を読んで知っていたので衝撃を受けた。聡明そうな子供のあどけない姿に涙が出ました」。三男の作曲家芥川也寸志とは、将来、仕事仲間になる。 昭和六十三年、「区民に愛される歌をつくり、世田谷を発信地として全国に広めよう」と東京都世田谷区在住の詩人と作曲家で「詩と作曲の会」を発足させ、平成二年から新作新曲発表会を毎年、開いている。「地域に根差した活動を展開しようと、世田谷区に住む多くの文化人が協力してくれてます。今までに二百五十曲ほどの歌を発表しました」 作詞した母校の創立八十周年記念歌「かくして時は」や五曲から成る組曲「歌は旅人」が式典などで披露された。「勉強も大事ですが、学生生活は楽しく過ごさなければ損。でも、高校時代、本は読んでほしいですね」
(文中敬称略)
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| ―土、日曜日に掲載します― |