| (2003年8月30日掲載) |
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| 第4章「想い出」 |
林のぶさん(「あざれあ」初代所長=昭28卒) 「こんにゃくはさみ」。子供のころ、母親が付けたあだ名だった。「つかもうとしても、うまくつかめない。子供のころは頼りなくて意気地なしで、すぐ泣く子。シャイで人前で話をするのが嫌いだった。今は『やれ』と言われれば嫌と言えない。周りの人のおかげで今の私があります」 平成五年から五年間、県女性総合センター「あざれあ」初代所長を務めた林のぶ(昭28卒)。県行政に携わる間、「しなやかに さりげなく」をモットーに女性行政を担当した。現在は県女流美術協会代表や市教育委員会委員を務める。 小学生のときから陸上が得意。「大会で度胸を据えてほしい」という母の願いから高校も陸上部に入部し、円盤投げと短距離の選手として活躍した。「部活を休んだことはないのですが、大学へ行きたくて部活の後は空き教室で毎日勉強していました。文武両道の精神が染み込みました」 「これからの女性は自立しなければならない」という母の教えから静岡大の四年制に進学。子供のころの体験を思い出して、「物の言えない生徒にこちらから近づいて話し掛ける先生になりたい。教員にあこがれていた」と教師の道を選んだ。 静岡市立豊田中教諭を皮切りに静岡付属小・中教諭、中部教育事務所指導主事、大河内小教頭などを歴任。付属の十二年間が大きな転換期だった。「チャンスが与えられる体質を持っていた。教育実習での人との触れ合いと先導的な思考の教育方法で、自分が日々新しくならなければならない気がした」。教育事務所在職時は、「自分の実践を通して、教育現場と管理部門を知ったのは大きかった」。 県婦人青少年課参事、県婦人課長、県環境・文化部次長などのポストに就いた後、「女性団体を中心とした女性の社会参加から参画へのお手伝い」という「あざれあ」の建設に土地探しから取り組んだ。女性が情報発信する場所や団体グループが出会う拠点として、大きな期待が寄せられていた。 「無理してわがままを通してもらって実現できた。私の後ろにいる女性たちが頑張った成果だと思う。人との出会いという、財産を得ることができた。仕事のパートナーにも恵まれた」 今年七月に男女共同参画社会の実現に向けて力を尽くしたとして、県知事褒章を受けた。「在校生は母校を誇りにする気持ちを持ってほしい。先輩を一つのロールモデルとして、『信念を通す』という気概でこれからの人生を築いてほしい」
(文中敬称略)
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