| (2003年8月31日掲載) |
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| 第4章「想い出」 |
望月 敏平さん(昭和24年度在学) 新制高への移行期、一年間だけ男女共学が実施された昭和二十四年度、静岡城北高で学んだ望月敏平(昭和24年度在学)。一学年約三百人中、男子は十七人。少数派で窮屈さもあったが、多感な青春時代、貴重な出会いを経験した。「たった一年だが、人生に与えた影響は計り知れません」 入学したころは、英語が特別苦手だった。「どうしてもだめ。零点ばかり取っていた」。ところがある日の授業で、指名されて発言した答えに、英語教諭の宇佐美雄司が驚いた顔で言った。「なんだ、やればできるんじゃないか」 この一言に、やる気をかき立てられた。もっと驚かせてやろうと頑張るうちに、英語が本当に面白くなる。進駐軍の通訳が自宅近くで開いていた英会話塾に通い、会話もみるみる上達した。 英語は仕事の武器になった。大学を卒業後、まだ町工場だった家業の木工機械製造「丸仲鉄工所」に就職。ハノーバー、ミラノなど世界各地の見本市に出展、五十カ国以上を訪ね、他に先駆けて海外に販路を開く。デリケートな表面加工が可能な自社製品が飛ぶように売れ、事業は拡大した。 出会いはほかにもあった。一つはバイオリン。音楽教諭だった中村義光(旧姓七釜)に刺激されて個人レッスンを受けるようになり、その後も大学や地元のアマチュアオーケストラで演奏を続けてきた。国語教諭の中村正己が取り上げた島崎藤村の新体詩に心を奪われたのも在学中。影響を受けて藤村の母校明治学院大に進み、現在まで自称“藤村研究家”として作品を愛読する。 男女共学については複雑な思いもある。「女の子にしてみれば、『異分子が入ってきた』という気持ちがあったんでしょう。『男なんか相手にできない』という雰囲気もありました」。運動会ではハンディを付けられたり、荷物運びに使われたりして大変な思いもした。 「今と違って、みんな女の子とまともに目を合わせられないような時代。短い間だったし、濃い付き合いはなかった。それでも声を掛けることもできずにひそかに思う子がいて、楽しかったこともありました」 五年前に長男に会社を任せ、一線を退く。平成十二年には、産業振興の功績を認められ藍綬褒章を受けた。「人生を豊かに過ごす種をまいてもらった。あの一年がなければ、違った人生を歩んでいたかもしれません」。愛娘二人は“母校”の卒業生だ。
(文中敬称略)
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