(2003年9月21日掲載)
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 第4章「想い出」
「英語」生かして夢実現
 「今の私にとって城北が今まで培ってきた風土や校風は財産」と話す前畑典子さん=静岡市水落町

前畑典子さん(会議通訳者=昭42卒)

 「『いい通訳だったね』と喜んでもらえることが、一番うれしい。正確に訳して当たり前の世界なのですが、毎回、緊張しますよ」

 会議通訳者の前畑典子(昭42卒)は、かつて住んでいた家の向かいが宣教師館だったことで、小学校低学年のころから叔母と教会へ通うなど、幼少から英語に親しむ環境が整っていた。「『英語でもっと話をしたい』と漠然と思っていた」

 高校は英語クラブに入部。本を読んだり、会話の練習をしたりして英語への理解を深めた。「先輩から引き継がれた『城北魂』と言われる明るさと前向きさが満ちた自由な校風だった」。生徒会にも二年間ほど入り、生徒会便りを作製したほか、副会長も務めた。

 志望校を目指して、受験勉強にも励んだ。植松徳教諭から“合格術”を伝授され、一年生の時から三教科に絞り、参考書の書名や問題の解き方など具体的な勉強方法の指導を受けた。

 上智大文学部英文科に進学。三年生の時、姉妹校だった米オマハ市にあるクレイトン大に一年間、単身留学した。当初は日常的な会話や膨大な宿題の量に苦労したが、「アメリカ人に外国人を受け入れる気持ちがあり、街などで積極的に声を掛けてもらい交流してくれた。生の英語を学んだ」。

 その後モダンダンスを勉強するため、帰国を延ばしニューヨークへ。そこで、東由多加率いる劇団「東京キッドブラザーズ」と出合う。ニューヨークタイムズの一面や「エドサリバンショー」などでも紹介される人気劇団。「役者募集」の張り紙をきっかけに入団し、オフブロードウェーなどでの公演活動に参加した。帰国後、「『演劇関係の通訳をしてほしい』と頼まれた。フリーの通訳として仕事があれば、面白いと思った」。通訳者としての道を歩み始めた。

 大学卒業後、海外各国からの大臣の表敬訪問をはじめ、企業や医療関係の国際会議、講演会などの通訳に携わった。「最低限の用語を把握しなければならないので準備は重要。事前に渡された原稿と違うハプニングもありますよ。集中力が必要なので、終わったときは、もうくたくたです」

 現在は人間の動きから治療する「ムーブメントセラピー」という、親友で米国の物理療法士が書いた本を翻訳するほか、静岡福祉情報短期大で非常勤講師として留学生に日本語を教える。「高校時代の頑張りは一生の宝物。あのとき頑張れて、今できないはずはないと思う。自分たちの目標に向かって努力してほしいですね」

(文中敬称略)
―土、日曜日に掲載します―


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