(2003年9月27日掲載)
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 第4章「想い出」
奥深く魅了される世界
 「若いころは何でも、自分でいろいろな人や物に触れてほしい」と話す青島静子さん=東京都千代田区四番町

青島静子さん(長唄演奏家=昭45卒)

 二歳の時。自宅前の二階から流れてくる三味線の音色にひかれ、芳村辰貴代が教える長唄教室に勝手に上がり込んだ。「歌うことは小さいころから好きだったんですね。当時は短い曲を口まねで学びました。子供だからすぐ覚えてしまう。褒められるのがうれしくて、ほとんど毎日通っていました」。小学校に進むと、自分の背丈ほどの三味線を抱え、弾き語りを始めた青島静子(昭45卒)。長唄の芸歴は五十年目を迎える。

 静岡城北高進学後も練習は欠かさず続けた。合唱部に入部し、内田俊顧問の指導の下、県大会で優勝を飾り、全日本合唱コンクールにも出場した。高校二年の昭和四十四年に、バリトン歌手の栗林義信の音楽教室が講堂で開かれた。「素晴らしい歌声だった。今でも印象に残っている」。師匠の芳村にも勧められ、東京芸大邦楽科を志望し、本格的に長唄の道を歩み始める。

 受験失敗で一度は挫折し掛けたが、東京で聴いた東京芸大出身の長唄演奏家が集う「長唄東音会」の演奏会に感動した。「けいこを続けていたことによって、自分を見つめ直すことができた。私には歌しかない」。もう一度進学することを決意し、受験勉強に取り組んだ。

 「子供のころ体に染み付いたことに、大学で学んだ音楽理論が加わった。あの時期にたたき込んだ技術が凝縮されて、今の底力になっていると思う」。厳格な家元制度の存在する古典芸能の世界にあって、流派の枠を超えた自由な演奏、研究を目指す「長唄東音会」に入った。流派に属さない本名で、大学二年から演奏活動がスタートした。

 現在は、平成十三年に県文化財団の地域文化活動賞を受賞した静岡長唄鑑賞会の本部代表を務めるなど、東京や静岡で後進の指導に当たるほか、全国各地へ演奏活動に出掛ける。平成十二年、静岡で能楽や義太夫、狂言などが競演する舞台「邦楽の夕べ」を企画した。「家元制度から離れて、しがらみがないからできた。長唄は一人ではできない。周りの方々の後押しがあったから、ここまで来れた。奥が深いので、一生涯やっても達成感がないのでは」

 十一月九日に師籍三十年、静諷会二十五周年、静麗会二十周年を記念した長唄演奏会を東京・国立小劇場で開く。「自分に長唄を信じている気持ちがあるから続けられる。自分の信念とポリシーだけは持ち続け、自分が歩いてきた道だけは信じて生きていきたい。長唄は裏切らない。やればやっただけの成果は出ますよ」

(文中敬称略)
―土、日曜日に掲載します―


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