| (2003年9月28日掲載) |
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| 第4章「想い出」 |
藤井京子さん(声楽家=昭26卒) 「運動部で頑張ったから基礎体力には自信があります。体力があったからここまで続いているのでしょう。生活の中に歌があるということは楽しいですね」。終戦の年の昭和二十年入学し、戦後の動乱期に学生時代を過ごした藤井京子(昭26卒、旧姓小沢)。静岡大名誉教授で県オペラ協会の会長を務めるほか、女声コーラスグループ「静岡フラウエンコール」「コール華」「藤枝フラウエンコール」の指導者としても活躍する。 入学当初の校舎は立派な桃山建築風の和風な建物だったが、その年の六月の静岡空襲で講堂と体育館を残してすべて焼失した。「当時は生きることに必死な時代だった」。九月から旧三菱工場の女子工員寮を教室として授業が再開された。縄やビニールホースをタイヤの替わりにした自転車で疎開先から毎日通学した。授業は畳の上に座って受け、工場の食堂で使用した木の長いすを並べて机にした。 在学中はバレーボール部に在籍した。朝早くから日暮れまで練習を積んだ。県大会では常に王座を守り続け、国体やインターハイにも出場した。「運動部で毎日、体を鍛えていたこともあって、体を使うことによってできる芸術をやってみたかった。自分の声は美声とは思わなかったけど、詞を読むあこがれから芝居ではなく音の世界を選んだ」 二十九年に東京芸大声楽科に入学し、卒業後、島根大助手を経て、静岡大へ。五十五年からは山間地の小規模学校の児童、生徒を中心に“出前コンサート”を開く音楽活動を続けている。「静岡で生まれ育った静岡っ子なので、恩恵を受けた地元へ何かを還元したかった。生の音楽に触れる機会の少ない子供たちに、クラシック音楽の感動や魅力を伝えたかった」。平成五年、クラシック音楽興隆会から草の根的な音楽活動に功績のあった人に送られる「志鳥音楽賞」を受賞した。 「教えることは昔から好きでした。先生は音楽は汗をかいて教えた分だけ、生徒が乗ってくる。歌はやる気があればうまくなります」。六年に「静岡フラウエンコール」が「全日本お母さんコーラス全国大会」で一位のグランプリに輝いた。合唱でオーケストラの雰囲気を出すため、段ボール製の楽器を持ちタキシードを着た男装で出場した。歌唱力とともにアイデアも高く評価された。 「飽きることに負けない、やり遂げるという自分自身に対する勇気を持ち続けて取り組んでほしい。年を取ると歌そのものが面白くなりますよ」 (文中敬称略)
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| ―土、日曜日に掲載します― |