(2003年10月11日掲載)
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 第4章「想い出」
生命の誕生、尊さに感動
 「女性として男性の仕事を理解するのも必要かもしれません」と話す知花みゑさん=静岡市八千代町

知花みゑさん(元県看護協会長=昭16卒)

 県看護協会長として九年間、戦後の本県看護行政に尽くした知花みゑ(昭16卒)は、県立中央病院で総看護婦長を務めた豊かな経験などを生かして、精力的に取り組んだ。看護婦の確保や後進の育成、高度な医療看護に対する技術研修会など数々の実績を残し、県内の看護界では大きな存在。「年とともに看護は素晴らしい仕事だと実感しています。私自身が長生きして健康でありたいと、しみじみと思うようになりました。人が最後に行き着く幸せの場所は家族であり家庭。きずなは大事ですね」

 十一年に県立静岡高女に入学、二年生の時、校舎は北安東に移転した。国語の授業では教科書の文章を句読点までも暗記させられた。「今でも詩の一節を覚えています。私たちの時は『良妻賢母』をたたき込まれました。とてもよき女学校の教育を受けて、考えてみればありがたいですね」

 同期をまとめるリーダー的存在だった三浦滋子(旧姓永田)は文学少女で、「当時、流行した『風と共に去りぬ』などを読んでくれて、昼休みの時間は皆で聞いていました」。静岡市の大村洋品店を一代で築いた大村弘子(旧姓稲森)、はごろもフーズ会長夫人の後藤悦子など、「いい人柄の人たちがいて、同級生にも恵まれました。今でも同窓会を開くなど、仲はいいですよ」

 女学校卒業後、看護の道を志し、ハルピン満鉄看護婦養成所で看護婦と助産婦の知識を身に付けた。産婦人科で日本人をはじめ、中国人、ロシア人などのお産を扱った。「国籍を問わず、一つの生命が生まれることは、言葉で表せない感動がありました。赤ちゃんの誕生は最高にうれしい」

 帰国後、米国のGHQの行政により各県に看護の行政官が置かれた。二十一年から県の看護係長に就任し、行政に携わった。定年退職後の五十六年から静岡リハビリテーション病院の総看護婦長を七年間、特別養護老人ホーム「晃の園」施設長を十一年間務めた。

 「責任が重くて女性の仕事としては大変ですが、卒業生が活躍することはうれしい」。高齢者リフレッシュセンター「スリーA」所長の増田末知子(昭34卒、旧姓大高)、県健康福祉部参事兼浜松学園長の水納谷陽子(昭38卒)、県立こころの医療センター看護部長の坂元玉枝(昭41卒、旧姓見城)ら卒業生が看護界で手腕を発揮する。

 「社会的に職業となり得る専門性を身に付けてほしい。どんな困難なときでも、人生に道を与えてくれると思います」

(文中敬称略)
―土、日曜日に掲載します―


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