| (2003年10月26日掲載) |
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| 第4章「想い出」 |
北条愛子さん(幼稚園理事長=昭3卒) 小学校の先輩が県立静岡高女の制服を着て、さっそうと歩く姿が目に留まった。「あの制服を着てみたい」。あこがれから大正十三年に入学した北条愛子(昭3卒、旧姓岡崎)は、幼稚園の園長や理事長を務め、幼児教育で手腕を発揮したほか、しずおか女性の会や県女性団体連絡協議会などの会長として女性団体を支援する活動を展開した。「体が丈夫で環境にも恵まれました。家族や子供たち、周りの人々が支援してくれたおかげ」 在学中は竜爪登山や十里遠足など、さまざまな思い出が残る。日本を代表するテナー歌手藤原義江が来校し、オペラにも夢中になった。「同級生はとても仲良かったですね。友達と昼休みに藤原さんの物まねをして、大きな声でオペラをよく歌っていましたよ。みんな明るかった。厳しさはなかったですけど、規則を守ることは身に付けさせられました」 叔母や姉が教師だった影響を受け、女学校卒業後は小学校の先生に。しかし、「自分の子供は自分の手で育てようと思いましてね」と出産を機に退職した。「親も家事や仕事が忙しいため、子供が小学校に入学する前に基本的習慣を教えることがほとんどなかった時代でした」。そして、「そういう教育を幼稚園でしてみたい」と昭和二十八年、静岡市駒形通に「こまどり幼稚園」を開園した。 安倍川の砂を使った砂場など、遊具はすべて手作り。恵まれた時代ではなかったが、「気持ちだけは子供、親と通じていました。今でも卒園生が『先生』と呼んでくれますよ。そういう教育をしてきたことが私にとって幸せでしたね。先祖から脈々と受け継がれている家庭的な人情は変わってはいけないと思います」。 当時、静岡市内に幼稚園の教員を養成する機関はなく、自分の教え子たちを育てることにも力を入れた。児童心理など、幼児から教わることも度々あった。「小学校のように成績評価されないため、この素直な時期の教育は大変重要です」 婦人会活動にも積極的に参加した。六十年、市内の女性団体で構成する「しずおか女性の会」を設立。県地域女性団体連絡協議会は、女性団体組織同士の風通しを良くするとともに、婦人会のない地域の草の根団体や個人でも参加できるように門戸を広げた。 「男女はお互いが理解し合って人間として認め合っていくことが大事。教育は家庭が一番の核となりますから、夫婦が協力すれば、いい子供が必ず育ちますよ」 (文中敬称略)
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