(2003年11月1日掲載)
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 第4章「想い出」
「色覚異常」の差別撤廃
 「『色覚異常』は色の感じ方が違うだけなんですよ」と話す高柳泰世さん=名古屋市名東区の本郷眼科

高柳泰世さん(眼科医=昭26卒)

 大学や職場の門戸を閉ざしてきた「色覚異常」。教育現場とともに職場でもプライバシーが配慮され、入学や入社の制限は大幅に改善された。その中心的な活動を担ってきたのが眼科医高柳泰世(昭26卒、旧姓杉山)。「『色覚異常』者は実際の生活で困ることはありません。今まで大きな誤解があって大きな差別を生んできました。色の感じ方が違うだけで、近視や遠視と同じレベルの人間の個性の一つなんですよ」

 昭和二十年、県立静岡高女に入学。その年の六月に空襲に遭った。「自宅周辺は焼け野原。校門にあったソテツが焼け残ったのが印象的でした。六年間いい友達に恵まれ、一生懸命に勉強しましたよ」。戦後間もなくの物不足。着物を縫い直した制服で通学した。

 四百年の歴史がある医者の家系に生まれ、小学生のころから、「自然に医学部に入ろうと思っていました」。

 二十七年に東邦大(旧帝国女子医専)の進学コースへ入学、三十三年に名古屋大医学部を卒業し医者の道を歩む。結婚後、夫の米国留学を機に四十四年から二年間、日本を離れる。「アメリカでは医学部の教授に『僕は色覚異常です』という人が何人もいて、日本との違いに驚きました」

 帰国後の四十八年、名古屋市内に眼科を開業し、近くの小中学校の学校医に就任。当時の色覚検査は学校保健法で義務付けられ、戦前に徴兵用に作られた検査方法が導入されていた。「この検査では誤診率がかなりあり、女子では半分近くに上ります。児童の中にも正常者がたくさん含まれていました」。工業高校に進学を志望する男子中学生に色覚の診断書が求められ、「色覚異常」で受験できないことに疑問を持った。

 六十一年、全国の国公立、私立大など約五百校を対象に入学試験の実態を調査。文部省(現文部科学省)などに働き掛けた結果、ほぼすべての大学で撤廃された。「色覚検査は遺伝の検査にもつながる。そういう子供がいたときにどう対応するか。個性として育てることが大事なのに」。自宅近くに中途視覚障害者のための日常生活訓練所を設立し、支援活動も展開している。

 「色覚異常」の社会的制限の緩和や社会生活改善などの功績が認められ、平成三年に日本医師会最高優功賞、翌年に日本女医会吉岡弥生賞を受賞した。「城北出身ということに誇りを持ち、自分の特性が生きる道を見つけてほしい。みんな一緒ではなく、いつも前だけを向いて進んでもらえれば」

(文中敬称略)
―土、日曜日に掲載します―


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