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昭和二十年八月十五日。日本は終戦を迎えた。十七年春、掛川中に入学した二百十八人はそれぞれの胸で敗戦の衝撃を受け止めた。
昭和十八年七月の静岡新聞をみると、「学徒若鷲志願者千五百十二名に達す」の見出しで中学生の予科連志願者数が載っている。公立十三校のうち掛川中は百四十三人と断然トップ。他の中学は六十五―十五人となっている。 年を追うとともに深まる戦局。生徒たちは学校教練、農家への勤労奉仕など学業以外の生活に追われた。校舎は軍需工場となり、ついに授業を受ける教室さえなくなった。中学生活を激しく塗りつぶしていく国家主義教育。「耐えて生きることを経験したのはその後の人生の大きな糧となった」。粂田勝治さん(昭22卒)=掛川市城内=は戦時体験の重さを強調する。
そして敗戦。既に七十歳の古希を迎えた十七年入学組は「多くの教師が軍国主義を捨て、手のひらを返すように自由主義を唱えた」と証言する。 終戦直後の教科書をみると、歴史の教科書は、ページによってはほとんどすべての文字が墨で塗りつぶされた。それまでの皇国史観が根底から覆された結果だった。鈴木昭三さん(昭22卒)=森町天宮=は「戦後、進駐軍が教師の思想をよく調べにきた。優秀な生徒二、三人に聞き取り調査をした。先生たちはおどおどした様子で、後から生徒にどんな話をしたのか尋ねていた」と振り返る。 敗戦による混乱は学校を激しく揺さぶった。粂田さんは「新しい時代でどう生きていったらよいのか。校内が混乱して柱になるものを私たちに与えてくれなかった」という。
堀内さんは「僕らの人生を振り返ると下半身は軍国主義、上半身は自由民主主義と言っていい。恐らくこの体から抜け切らずに死ぬ。古い時代の意識を捨て去れと言っても無理。両方の考えが体に染み込んでいるし、それだけ戦争、敗戦のインパクトが強かった」と話している。 |
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