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昭和二十三年四月、学制改革によって掛川中学は県立掛川第一高等学校・併設中学校と改め、翌二十四年には県立掛川西高等学校となった。この新生、掛西高の新入生約二百八十人の中には女子二十三人も含まれ、校史に「男女共学」という新たな一ページを記した。 「男女七歳にして席を同じうせず」の戦前教育から百八十度転換。名簿順も男女混成で、体育のみ男女別で授業を行うほかはすべて同じ。家庭科はなし。志を持った女子生徒が、次々と西高の門をくぐった。
男子ばかりのバンカラな雰囲気には当初、戸惑いがあったのも確かなようで、中山菊枝さん(同)=菊川町堀之内=は「学力差に驚き、取り戻すのに必死でした。女子が運動場で体育の授業をすれば、男子が窓に鈴なりになって大きな声援を送ってきましたし、応援練習では、上級生の一喝に驚いて卒倒してしまった同級生もいましたよ」と懐かしいエピソードを明かす。
当時の教師陣で最も若く“お兄ちゃん”の愛称で生徒に親しまれた山内猪三雄さん(76)=掛川市水垂=は「大事な娘さんが来るのだからしっかり受け止めなければ、という気持ちだった。しかし女子だからといって特別扱いはしなかった」と振り返る。 翌二十五年には、戦後教育の申し子ともいえる新制中学卒業の三十七人の女子生徒が入学した。小林紀代子さん(昭28卒)=掛川市葛川=は「掛西に行くと男のようになる、といったささやきも聞こえないではなかったが、勉強できることの喜びが大きく、当の本人たちはあまり気にしなかった。知的好奇心をくすぐる熱心な授業が今でも思い出され、充実した三年間だった」。全国女性校長会などで要職に就き、教育界で活躍した原口玲子さん(同)=東京都在住=は「西高の自由で伸びやかな風土は、戦後民主主義の付け焼き刃ではなく、掛中時代から伝わるものだったと思う。男女の差なく一人の人間として認めてくれた」と話す。 自主自立の校風に育った女子生徒たちは、卒業後さまざまな分野で活躍し、女性の地位向上の原動力となっていく。創立百周年を迎える今、西高の男女比はほぼ一対一。男女とも家庭科は必修科目となり、新しい時代を迎えている。 |
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