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新鋭校の台頭と伝統校の復活―。平成の県内高校野球界はまさに群雄割拠の様相だ。平成に入ってからの過去十一回、夏の甲子園に出場した学校は実に九校。「春夏連続出場はできない」のジンクスも根強い。 ここに掛川西高野球部後援会(福田喬治会長)が学校創立百周年を記念してまとめた、平成二―十一年の十年間の県内主力高校野球部の戦績表がある。夏の大会に絞ってその足跡をたどると、掛西は平成五年と同十年に優勝、同八年に準優勝、ベスト4は四回、ベスト8二回。ベスト8内にもれたのは一度だけ。その常勝ぶりは静岡、浜松工、興誠など並み居るライバル校を寄せ付けない。安定した強さの原動力はどこにあるのか。 平成の掛西野球部を鍛え上げたのは、ことしで監督生活十三年目を迎えた山内克之監督。山内監督は、昭和六十三年の監督就任当時を「いい素質を持った選手は多かったが、勝ち方を知らなかった」と述懐する。 平成の名勝負を一つ挙げるとすると―。甲乙つけがたい熱戦ぞろいの中、五年夏の準々決勝、対常葉菊川戦を挙げるファンが多い。山内監督も「筋書きのないドラマとはあのこと。奇跡の逆転サヨナラ勝ち。はっきり覚えている」と語る。
掛西は後攻、3対5と2点を追う最終回の攻撃。ドラマは二死無走者と追い詰められてから始まった。川久保、金原が連続四球、続く俊足渡辺は一ゴロながら一塁手が投手のベースカバーを待つ間に一塁を駆け抜けた。二死満塁。そして主砲勝岡が、右中間フェンスを直撃する逆転二塁打を放った。悲鳴に近かったスタンドの声援は一変、歓喜に揺れた。大庭、織部の左腕投手コンビもさえたこの夏、十六年ぶりの甲子園行きを果たした。 山内監督は高校野球を料理にたとえてみせた。「食材=選手、コック=スタッフ、食材のうま味を引き出す“だし”=戦力外通告をされた三年生。この“だし”がチームを支えているのだと、最近強く思うようになった」。春の公式戦後、夏の大会のベンチに入る選手とそうでない選手を選別する。戦力外とされた選手はノックやバッティングピッチャーなど裏方に回る。山内監督は「試合は調理する場。いい“だし”のチームは勝てる」と強調する。 「野球のまち」と評されるほど、熱狂的な野球ファンが多い掛川。その背景には掛中・掛西高の野球部の活躍がある。今春は鈴木寛樹投手(平12卒)が横浜にプロ入りというニュースが話題を呼んだ。掛西野球部の勝敗に、そして選手のプレーに一喜一憂する市民性は、今もって健在だ。 【注】カッコ内の卒は卒業年。文中、敬称略。 |
榛原高校100年 御殿場高 躍進の百年 静岡新聞へ |