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 第2部 スポーツ 文化 (10)

陸上部OBの小野田貴文選手

 アトランタ・オリンピックの出場選手選考を兼ねた平成八年の陸上日本選手権。筑波大四年の小野田貴文さん(平5卒)は二百メートルに出場した。予選タイムは何と20秒80。オリンピックA標準記録は20秒84。どよめく観客席。掛西出身の陸上選手が初めて、オリンピックA標準記録を突破した。

 決勝では5位に終わり、オリンピック出場は果たせなかったが、日本陸上界にその名をとどろかせた。平成九年に宮城県・七十七銀行に入社し、陸上部に在籍、その年の全日本実業団陸上で二百メートルに出場した。一九〇センチ、八二キロの大器。残り十メートル付近で伊東浩司選手(富士通)を破り、社会人一年目で優勝した。タイムは20秒72。日本歴代四位タイの好記録だった。

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 平成3年の静岡インターハイ当時の掛西陸上部。後列中央が小野田選手
 小野田さんは掛川北中から掛川西高に進学した。中学時代、陸上部に所属し、基本を学んだ。掛西でも迷わず陸上部に入った。「既に身長が一八〇センチ以上あったが、筋力はまだなかった」と当時の陸上部顧問の新間一夫・袋井高陸上部顧問は振り返る。「でも、高校だけで終わる素材ではないとすぐ思った。だからスピードをつける練習を重視した」ともいう。

 平成三年、静岡県で開かれたインターハイ。小野田さんは二年生で、四百メートルリレーに臨んだ。補欠で実際は走らなかったが、「この時の経験が、その後の成長につながった」と振り返る。

五輪A標準記録を突破

 「当時の三年生のリレー選手は強豪ぞろい。僕は百メートルの走力では七番目だったが、新間先生が六人の登録に入れてくれた。そこで試合の雰囲気、ウオーミングアップの仕方などを学んだことが後の練習に大いに生きた」と感謝する。

 世界を舞台に闘っていたスプリンターの山下徹也さん(現磐田北高教諭)が当時、非常勤講師で掛西にいたことも恵まれていたという。「日本一や世界一という高いレベルを目指す素晴らしさをを肌で知った。陸上は個人競技で、自分を追い込む厳しさに耐えなければいけないが、助け合う仲間も必要。良い先輩、同級生、後輩に恵まれた」

 小野田さんの妹、仁巳さん(平7卒)も百メートル、二百メートルで活躍。インターハイに二回出場した。小野田兄妹は兄が筑波大、妹が静岡大時代にそろって二回、国体にも出場している。

 現在、掛川市立原谷小教諭の仁巳さんは「勉強もきちんとやれ、というのが新間先生の口ぐせ。陸上部の選手は競技はもちろん勉強でも頑張った」と話す。

 【注】カッコ内の「卒」は卒業年。


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