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 第2部 スポーツ 文化 (13)

観世流能楽師 長谷川晴彦さん(昭62卒)

 能の世界に入って十数年。国内はもちろん欧州などでの海外公演もこなす。「掛川では体験できないものをやってみたい」。この単純な動機から日本大入学とともに能楽研究会に入り、能を習い始めた。

 「能という芸能の質が合う。フォルムがきちんとして輪郭もしっかりしている。精神をのぞき込む世界の奥深さ、面白さにひかれる」という。「動かないで表現する能をドイツ人は理解し受け入れてくれる。ドイツ文学は森鴎外に見られる独特の硬さ、深みがある。そこが能と通じる」

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 「古い社会に対する反発精神を胸にに抱いて、能を演じてきた」という長谷川さん=掛川市内
 掛西時代はバレーボールの選手。そのころは、はっきりとした目的意識もなく、バレーボール部で遊んでいた毎日。ただ母親の話だと、子供のころから反発精神は強かったという。

”伝統”を守る疑問に答えを

 高校一年の時、その反発精神が頭をもたげる。伝統という名のもとに炎天下で繰り広げられる昼休みの応援練習。「なぜ、強制的にやらされるのか」。掛西の卒業生である父親に聞くと「伝統だからだ。伝統は守らなければならない」という答えが返ってきた。

 「それ以来、伝統を守ることに対する疑問がわいて消えない」と振り返る。「伝統を守るとはただ古いものを伝えていくだけでいいいのだろうか、伝えるだけでなく新しく変えていくことも守るという意味に入るのではないか」。

 能楽界は家元制度に基づく伝統社会だ。この世界に飛び込んだのは、能という芸能が好きだったからこそだが、同時に古い社会の中で自分を表現したい、アピールしたいという強い気持ちもあったからだという。

「能楽界は歌舞伎に比べると、外から入った人間を受け入れてくれる。世阿弥も”芸は血でつなぐものではない、芸でつなぐもの”と言っている。家柄ではない代わりに客観的な目を持つこともできるし、実験的なこともできる」。

 高校時代から胸に抱き続けてきた伝統を守ることに対する疑問。その答えを自ら出すためにも、懐の深い能楽の世界で今後もシテを演じ続ける。

◇  ◇

長谷川晴彦さん(はせがわ・はるひこ)高39回卒、日本大に進学後、平成元年に観世流シテ方梅若万三郎家に入門。二年仕舞「蝉丸」で初舞台。十年国立能楽堂で独立披露能を催した。東京在住。


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