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 第2部 スポーツ 文化 (14)

加茂荘、富士国際花園園長 加茂 元照さん(昭23卒)

 今年は終戦五十五年目。戦争中は、掛中のすべてのクラブが活動不可能となった。戦後になって野球、卓球、弁論、文芸部と次第に復活していく中で、仲間とともに音楽部、科学班をつくる。

 「講堂のピアノを使わせてほしいと校長に頼んだら、調律、修理ができない状態なので駄目と断られた。調律をする人を見つけてお願いしたら、ようやく許可が出た」。音楽部では、ピアノを弾いたり歌ったりしていた。青年時代、音楽好きは続き、大学でも合唱部に所属していた。

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 「花菖蒲づくりの土台となった知識を中学時代に養った」と話す加茂さん=掛川市原里
 戦中、戦後のモノのない時代。科学班でラジオやアンプなどを製作したが、部品はすべて自分で作った。戦時中、アイロンの箱の中にコンデンサーやコイル、真空管を使ってラジオを組み立てた。「米国の謀略放送で中波が聞けない状態。短波を作るとハワイのラジオ放送がよく入った。ポツダム宣言の受諾はだれよりも早く知った」。

生きる中学時代の体験

 終戦前後の混乱期は、好きなことを存分にやる時代でもあった。「教師は時流に合わせ言うことが変わる。尊敬できなかった。だから、決まりきった勉強は一切やらない。自分で価値あると思ったことに夜も眠らず打ち込んだ」。

 今でも胸に残る生き生きとした中学時代の思い出。この取り組みが花菖蒲(はなしょうぶ)づくりという仕事に大いに役立った。

 「花の新しい品種を作るという創作活動の手本になったのが音楽。ピアノで原曲を練り、オーケストラへと作り上げていく過程を、花菖蒲園の経営スタイルに生かした」。

 科学班での経験は、今でも温室の空調コンピュターメカニズムに生かされている。「私は園芸仲間では”電気に強い”といわれる。中学時代の科学班の知識と、大学時代によく取り組んだ音楽喫茶店用オーディオづくりのアルバイトの経験が土台になっている。そこで身に着けたエレクトロニクスの基本が花菖蒲園の環境制御に役立っている」。

 終戦を中学で迎えた世代の一人。小学校や家庭では軍国教育を受け、終戦とともににわかに”民主主義の洗礼”を受けた。「好きなことだけに熱中した中学時代。好きだからこそ身が入った。今もその延長かもしれない」。

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加茂元照さん(かも・もとてる)中44回卒、立教大経済学部から同大大学院経済研究科(日本経済史)に進み、昭和三十二年中退。同年、加茂花菖蒲園を開園した。平成二年に富士国際花園を開園、平成十四年四月のオープンを目指し掛川市に掛川バードパーク「花鳥園」の建設を進めている。日本花菖蒲協会会長。


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