<29>

 第2部 スポーツ 文化 (15)

美術家 ジュン・スズキさん (昭40卒)

 高校二年生の秋、東京芸大音楽部への進学を決めた。「僕はそれから不登校の生徒になった。はっきりした意思を持って学校に行かなかった。特殊な道を目指したので、一般の大学進学の勉強ばかりやっている学校が邪魔だった」

kakegawa
 「天才プールで教えたいものは真心」というジュン・スズキさん=掛川市内
 なぜ芸大だったのか。「産業発展に結び付く資格取得や自分の生活を守るための普通の大学受験がいやだった」

変革目指し、野人生活

 芸大音楽学部を受験するためにはピアノ練習が必要。自宅にピアノがなかったため、早朝や夜間、高校の音楽室のピアノを集中的に利用して練習に励んだ。昼の授業に出席しないで、他の生徒が来る前、帰った後に校門をくぐる毎日。

 特殊な通学が認められたのは三年生の担任だった社会科教師のおかげだという。「僕の気持ち、考えをはっきりと理解して、校長に掛け合ってくれた。卒業に必要な授業は卒業後の補講で何とかしてほしいと、主張して戦ってくれた。それを校長も認めてくれた」と感謝する。

 現在、主宰する「天才プール」では、さまざまな世代の男女が音楽や美術で創作活動に取り組む。その一人に掛西の女子生徒(三年)がいる。来年四月、卒業してから絵画の勉強のためパリ留学することを決めている。

 「校長あてに二通の書状を出した。懇切丁寧に彼女のことをお願いした。でも返事が来ない」と顔を曇らせる。「なぜ、返事が来ないのか。学校が忙しすぎる。みんなせわしない。学校内の問題は社会の問題でもある。現代社会は忙しい。忙しい社会をよしとするから救いようがない。自分たちが変えようとしないから仕方ない」

 幼稚園に三日通って、中退した経歴を持つ。「幼稚園ってもっと楽しいと思ったら、みんな泣いていたから。だれか一人が持っているおもちゃがほしいというのが理由だった」

 大学も中退した。「今、野人の生活をしているのも、前衛、変革を目指しているから。社会にはまりたくない。正確に言えば入れてもらえないのだが」

 来年七月、イタリアのシシリー島へ旅立つ。「もう掛川へは戻らないだろう」とも。理由は単純だ。「日本は自立していない。幼稚園時代の人のおもちゃをほしがる子供と一緒。日本の内部改革は期待できない。ならば外国から揺さぶる方がいい」

◇  ◇

鈴木淳さん(すずき・じゅん)高17回卒、東京芸大音楽学部へ進学。昭和46年から5年間、ドイツ国立芸術アカデミー・デュッセルドルフ創造美術学部専攻。平成2年に帰国し、6年から天才プールを主宰している。JR掛川駅南口・北口広場にモニュメントを制作した。


榛原高校100年 御殿場高 躍進の百年  静岡新聞へ