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 第2部 スポーツ 文化 (16)完

小説家 大貫満雄さん (昭20卒)

 ペンネームは「三戸岡道夫」。昨年春、小説「冀北の人 岡田良一郎」を上梓した。旧制掛川中学のルーツとされる「冀北学舎」を創建した岡田良一郎を中心に、江戸年間から昭和初期にわたる遠州の教育の普及と報徳運動の中興を描く。「母校の創立百周年記念の露払いになれば」。老巧な作家は穏やかに語る。

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 「大勢の人の心を動かす小説を書き続けていきたい」と話す大貫さん=東京都のあさひ銀行本店
 「報徳思想の根本は勤労と分度と推譲。現代風に言い換えれば、働く喜び、堅実な生活、ボランティア。今の時代に大変必要だと思う。茶髪のお兄さんだってガングロのお姉さんだって分かる適切な教え」

時代物中心に書きたい

 掛中に入学したのは、太平洋戦争の勃発から間もない昭和十七年春。中学時代の一番の思い出は、四年次だった十九年八月から約一年間、名古屋の軍事工場へ学徒動員されたこと。二十年三月には一年繰り上げて学校を卒業し、軍事工場で卒業証書を受け取った。「学校生活の中に組み込まれた軍事教練の数々は今もって忘れられない」。戦中の混乱をまともに受けた世代の一人だ。

 終戦後二年間は代用教員として働き、浜松師範学校へ入学した。このとき文学好きの先輩の影響を受けて小説を書き始めたのが、作家を目指すきっかけに。続く東京大法学部での学生生活も、「六法全書そっちのけで実存哲学にどっぷりつかった」。ペンネームは、そのころ傾倒した三島由紀夫と、藤山一郎が歌った流行歌「丘を越えて」をもじってつけた。

 銀行に就職した後も、筆をおかなかった。「構想は毎日の通勤電車の中で練った。原稿用紙に向かうのはもっぱら日曜日」。純文学一筋に同人誌に作品を発表し続けた。五十歳をすぎ、「銀行の中にいるからこそ書けるものを」と矛先を変えて企業小説を手掛けてみたところ、出版社の社長の目に止まった。二十代から夢見た小説家デビューは六十一歳のとき。「私の場合、六十歳から第一の人生が始まった。うまい小説を書こうとするのではない。自分でないと書けないものを書いてこそ、人を感動させることができる」

 銀行の副頭取まで務め上げた後は、執筆活動に専念する日々を送る。これまでに企業小説や時代小説などを数多く生みだし、十八冊の本を世に出した。「自分なりの目的を持って誠実に生きていくことが大切と思う。時代物を中心に書きたいものはまだまだたくさんある」

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大貫満雄さん(おおぬき・みつお)中41回4年生卒。浜松師範学校、東京大法学部を卒業後、昭和二十八年協和銀行(現あさひ銀行)に入行。副頭取などを歴任。現在は東京都内で作家活動を続ける。著書に「降格を命ず」「支店長の妻たち」「修羅の銀行」「江戸妖草伝」「秋風高天神城」など多数。


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