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 第3部 卒業生 (1)

衆議院議員 柳沢伯夫氏 (昭和29卒)

 県西部の雄、掛中・掛西高。掛川城天守台下の学び舎から巣立った卒業生は二万人を超えている。第三部では柳沢伯夫衆議院議員、石川嘉延県知事、榛村純一掛川市長のインタビューをはじめ、各界で活躍する卒業生を紹介する。

kakegawa
 「傷だらけの青春でいい。後輩たちには自分の関心に突っ込んでいってほしい」と話す柳沢氏=袋井市内
 ―掛西時代の思い出を教えてください。

 「僕は静岡高に入学したが家庭の事情で半年間は定時制にいた。掛西に転校する時は単位が足りなかったので、英語の谷先生たちは迎えるのに大変だったと思う。単位を取るため、家庭教師のアルバイトをしながら通信教育を受けた。当時は社会科学への関心が高く新聞部に入った。しかし、部員が文芸部と重なっていて文芸部の方が主流。文芸肌の友人が多かった」

存分に自分の関心広げて

 ―当時の校風、気風はどうでしたか。

 「堅実な感じ。では堅実だけだったのかというとそうでもない。文芸部には口角泡(あわ)を飛ばして議論する連中も結構いたし、はみ出し者も多かった。その意味ではバランスがとれていた。型にはまらない仲間とはよく付き合った。高校時代、既に世の中に役立つ人になることを意識していたし、歴史に生きたつめ跡を残そうと考えていた」

 ―人生の土台を高校時代に築いたと、後輩たちに伝えているそうですが。

 「結果的に、高校時代に考えたことが人生の基盤になったという意味だが、確かにそうだと思う。青年は自分は人生をどう生きて行くべきか、価値ある人生はどういうものか絶えず考えている。トルストイやスタンダールなどの本を読んで人生論を追求した。当時はマルクス主義の社会観が支配的だった。この分野を勉強する友人が見当たらず、一人で唯物史観の命題を考えていた。僕はマルクス主義者ではないが、マルクス主義に触れたことで物事の本質を見ようとする考え方を培ったと思う」

 ―今後の掛西に要望することは何ですか。

 「生徒たちには、とにかく自分の関心を大事にしなさい、思う存分自分の関心を広げなさいと言いたい。遠回りや挫折を恐れてはならない。自分の生きる基礎が小さいとその上に展開するものも小さくなる。遠回りや挫折した方が人間がしっかりするし、あえて言えば大きくなる。また、掛川周辺で株式を上場して会社を経営する掛西出身のトップがもっといてもいいと思う。今は比較的容易に資金調達できる時代。リスクを負って商売を広げていく人材育成を望む。掛川には報徳思想があって、その影響かもしれない。報徳は分相応の事業を展開して推譲に生かすという考え。自己規制して小さくなるより、推譲するためにも、もっと事業を広げることが大切だ」

◇  ◇

柳沢伯夫氏(やなぎさわ・はくお)昭和10年袋井市生まれ。静岡高(1年)を経て掛川西高(6回)卒。東大法学部卒。昭和55年以降衆議院議員に当選6回。国土庁長官、初代金融再生委員長などを歴任した。


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