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―高校時代はどんな学生だったのですか。 「本ばかり読んでいる文学青年だった。今から思うと文学の中毒症状だった気がする。本が好きだったためか図書委員をやっていた。昨年夏、約五十年ぶりに当時図書館の司書をしていた女性から手紙がきた。僕のことを書いた新聞記事を見たらしい。今年九十三歳になる女性だが、一生懸命に図書整理をしている僕の姿が印象に残っていたようだ。われわれは新制中学から掛西に入ったが、旧制中学からきた一年先輩の人たちは大人に見えたし、エリートだった。そんな意識の中で、文学にのめり込んでいた」 ―放浪の旅をした経験があるとか。 「本を読み過ぎてノイローゼになっちゃったんだね。人生を見終わったような気がして、盛り場をほっつき歩いたり、名所旧跡を訪れたりして最後は永平寺(福井県)にたどり着いた。そこで修養していたら、体も心も真っ白になった気がした。そのことを偉いお坊さんに伝えると『もう家に帰りなさい』と言われ、“喫茶去(きっさこ)”という色紙をもらった。その時は意味が分からなかったが、五十歳過ぎて『まあ、お茶をゆっくり飲みなさい。物事を問い詰め過ぎても苦しいだけだ』と教えていることが分かった」
―父親・専一さん(明42卒)から、よく掛中時代の話を聞いたようですが。 「親父は七キロの道を五年間せっせと歩いて通学した。行きは朝日が、帰りは西日が左ほっぺを照らすため、顔半分だけが日焼けしていた。明治、大正期の方が今より学校に対する思い出が深い。二十世紀になって、学校で勉強する、人間をつくるという思い入れが浅くなった気がする」 ―地元市長となって感じることは何ですか。 「校歌に岩根こごしき天守台とあるが、高校生のころ天守台にいつか天守閣を建てたいと思った。それが四十年以上たって実現した。当時、金五郎というあだ名の植物の先生がいて、掛川城公園になぜ植物が豊富か説明してくれた。報徳運動中興の祖・岡田良一郎は天守台に日露戦争の犠牲者の鎮魂のため観世音菩薩を建てた。このかいわいを大植物園にして人を集めようと何十種類もの木を植えた。これが僕の全市植物園化構想、とはなにか学舎の原点だ。その話を聞いた時、掛川は東西文化の融合地点、立地的優位性があると感じ、新幹線新駅誘致の情熱につながった」 ▼榛村純一氏(しんむら・じゅんいち)昭和9年生まれ。掛川西高(5回)卒。早稲田大卒。52年9月から掛川市長、現在6期目。県森林組合連合会長、全国生涯学習市町村協議会長。 |
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