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 第3部 卒業生 (4)

国会議員・県議

 冀北学舎の時代からすぐれた政治家を輩出してきた掛川西高。創立以来根付いた報徳の精神は、多くの卒業生を政治の世界に送り出している。

 吉田茂内閣で労働大臣や建設大臣などを歴任した衆院議員戸塚九一郎(明42卒)は、内務省から徳島や山口などの県知事を経て、昭和二十七年に初当選。北海道開発庁長官時代には、農業振興を目的に興農公社(雪印乳業の前身)の設立に尽力した。

 南満州鉄道から政界に転じた足立篤郎(昭4卒)は二十四年に初当選した。四十七年の第一次田中角栄内閣で農林大臣、第二次改造内閣で科学技術庁長官に就任し、政策通として名をはせた。

 参議院議員には社会党の竹田四郎(昭10卒)がいる。神奈川県議を二期務めた後、四十三年に参院選に当選、三期十八年間、社会党きっての経済通として、予算、税制、景気対策などに積極的に取り組んだ。引退した現在も、市民運動の政策委員として弁舌を振るう。

 県議に目を転じると、元職では戸塚宏(昭12卒)や白松三省(昭14卒)が挙げられる。戸塚は掛川市議二期、同市助役を経て、五十年から県議を四期務めた。「一番の思い出は大井川用水工事。掛川新幹線駅の整備、空港の用地策定など大きな仕事が続いた」と振り返る。二十五年以上にわたって掛西後援会長も務め「地域社会に全力を尽くす精神を学んだ」と母校への思いは尽きない。

政治家生む報徳の気風

 白松は阪大医学部を卒業後菊川町で開業、三十八年に県議に初当選し、五十年からは四期にわたって県議を務めた。医師の経験を生かし、社会福祉法人の育成など主に厚生、文教分野に力を注いだ。六十三年には県議会議長に就任、副議長には戸塚が就き「掛中コンビ」が議会を切り盛りした。

 現職は草賀文雄(昭21卒)と中谷多加二(昭44卒)の二人。草賀は現在三期目で自民党県連総務会長。掛川市議を六期務め、約四十年の付き合いになる榛村純一市長(昭28卒)と市の開発に取り組んできた。学生時代は戦時中の「灰色の時代」。「あの時の苦労が今の自分を支えている」と中東遠の基盤整備に熱意を燃やす。

 中谷は天竜市出身。大学卒業後から農林業に取り組み、平成七年に県議初当選。中山間地の集落維持と林業の振興に精力的に取り組んでいる。

【注】カッコ内の「卒」は卒業年。文中、敬称略。


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