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 第4部 終わりに (1)

似ている校歌

 掛中、掛西の歩み、クラブ活動や卒業生などの紹介をしてきた連載も二十一日の創立百周年記念式典を前に最終章に入る。第四部では、連載中に寄せられた情報による話題、掛西で始まっている新しい取り組みを紹介し、鈴木忠夫掛西高同窓会長のインタビューで連載を締めくくる。

kakegawa
掛西の正面玄関横にある校歌を刻んだ石碑。“似ている校歌”は遠く離れた二つの学校に今も響く=掛川市城西の掛川西高

 「冀北の恵風」連載中、同校OBで、現在米国駐在中の中島信彦さん(昭58卒)から、一通の電子メールが寄せられた。創立百三年の群馬県の名門校沼田高校と、掛西の校歌が酷似している、というのだ。

長年のなぞに一筋の光明

 中島さんや掛西関係者の話によると、事の始まりは昭和五十年の春のセンバツ。掛西がベスト8に進出した時、校歌を聞いた沼田高の関係者から「うちの校歌と似ている」という連絡が入った。高校時代にこの話を聞いていた中島さんは、最近ホームページで同校の校歌を確認、「鳥肌が立つ思いがした」という。

 歌詞は両校ともに文語体で書かれ、歯切れ良い七五調が特徴。「基定めて栄川のさかえ行くこそ楽しけれ」(掛西校歌一番)と「基固めて桔梗の薫り行くこそめでたけれ」(沼高校歌一番)、「希望の懸を射るまではめげずたゆまず崩折れず」(掛西二番)と「青春の志をなすまではうまずたゆまず進みなむ」(沼高三番)など、類似した表現が随所に見られる。テンポの良い曲調も似ていて、自動車販売会社に勤めていた掛西OBが宴会で披露したところ、たまたま同席していた沼田高OBが大いに驚いたという話もある。

 なぜ静岡と群馬に「似ている校歌」が出来たのか。掛西の校歌は明治三十七年(一九〇四年)ごろ、沼田高の校歌は大正十二年(一九二三年)に完成した。歌詞を担当したのは、掛西では当時国語漢文を教えていた藤井金吾教諭。沼田高では同じく国語漢文の岩崎莞爾教諭が、生徒の作品に補筆し完成させたとされる。作曲者は両校とも不明確で、掛西では塙福寿教諭が作曲したとされ、沼田高には作曲者についての記録すら残っていない。

 掛西からは昭和五十九年に水野碩成校長(当時)と教務主任だった赤堀真男さん(昭20卒)が沼田高を訪れているが、理由は結局わからなかったという。しかし取材の過程で、「岩崎莞爾」という教諭が、大正七年から十年まで掛中で教えていたことが分かり、沼田高に問い合わせた結果、同校の校歌の作詞者と同一人物と判明した。鈴木忠夫同窓会長はそれぞれの校歌の伝統を高く評価しながら「岩崎教諭が掛西の校歌を念頭に置いて沼田高の校歌の歌詞を書き、塙教諭の作曲ということでメロディーを伝えたのでは」と説明。作曲者や曲のルーツなど不明な点も多いが、なぞの一端が解けたことに満足げな表情を浮かべた。


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