(2004年3月23日掲載)

 校 史
各界に逸材送り出す
黄金時代と呼ばれた昭和35年ころの珠算部
 遠州平野を望む小高い“曳馬の丘”に興誠高校(浜松市高林一丁目、夏目竜三校長)はある。白山神社の豊かな樹木に囲まれ、丘を下る細長い「百段階段」は今も昔も生徒にとってなじみ深い場所の一つだ。学びやを巣立った生徒は約二万五千人。地域に根差した実業家やスポーツ選手を数多く送り出している。

 「誠は汗の結晶なり」。昭和八年十一月二十二日、創立者廿日出厖(はつかで・ひろし)は男子の商業実務家の育成を目指し、「知育偏重であってはならない」と人格形成を重視する教育方針を掲げた。校風は「バンカラ」「元気が良い」「威勢がいい」。門をくぐった生徒たちは、たくましく青春時代を過ごした。

昭和58年―平成15年まで生徒が学んだ校舎(現在は改築中)=浜松市高林1丁目
 部活動も創立当初から活発だった。商業高に欠かすことのできない「珠算部」は前興誠学園理事長、和田清(82)=興誠商業学校7回卒=の熱血指導のもと、昭和二十―三十年代に黄金時代を迎えた。神谷昭二郎(興11卒)、内山悦夫(興12卒)、山下勇(興誠高2回卒)、尾崎雅彦(高4卒)、甲賀正雄(高12卒)らは当時、全国大会で五位以内に名を連ねた。彼らは卒業後も大手銀行や珠算塾講師、教員など商業、教育界で活躍した。

 和田の後を引き継ぎ、約三十年間にわたって顧問を務めた川合啓資(68)=高6卒=は生徒について「責任感が強く、とにかく勉強熱心。夏休みには海水浴へ行くなど息抜きが上手にできる生徒たちだった」と振り返る。

 商業高として長い歴史を歩んだ後、大きな転換期を迎える。平成七年、県西部地区唯一の男子校から男女共学化を実現。続いて商業科を廃止した。制服は紺のブレザーから男女とも深い緑のブレザーにそろえた。

 志望大学を目指し、学業に打ち込む「特進コース」、感性を磨き、人間性を養う「書道コース」の設置などカリキュラムは大きく変化する。その一方で、運動部の生徒が毎日、学校周辺の坂を汗をぬぐいながら駆ける姿は今も昔も変わらない。

(文中敬称略)
(火、金曜日に掲載。題字は興誠学園の神谷正平理事長)