念願の甲子園行きを決め、歓喜するナイン=平成14年、静岡球場
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「オイショ、オイショ」。市民約四千五百人の歓喜の激練りが、甲子園に響いたのは二年前の夏、野球部は創部五十七年目にして念願の初出場を果たし、夢の一勝を飾った。
平成十四年七月二十九日、「第八十四回全国高校野球選手権大会県大会」の決勝戦は浜商との“浜松対決”だった。主戦今泉直弘=高55卒=の力投とチームの積極的な打撃で6点を先制、最終回で4点を返されるも手堅い守備で栄冠を勝ち取った。
応援バス九十台が浜松から駆け付け、迎えた甲子園。強豪日章学園(宮崎)との初戦は、二十二安打という相手の猛攻を受けながらも粘り強い攻めを続け、最終回で逆転、9対8で勝利した。当時、控えの投手だった日向惇(ひゅうが・あつし)(19)=高55卒=は「ベンチにいても体の隅々まで響いてくる声援がうれしかった。(今泉には)打たれても大丈夫だからと声を掛けた」と振り返る。
勝ったチームで、一人の投手が完投し、しかも二十二安打を打たれるという試合は高校野球史にも残る記録。就任一年にも満たない監督望月教治の徹底的な守備強化の練習が短期間で奏功した。同OB会副会長の小林正気(60)=高14卒=は「あの九回は忘れられない。“高校野球”らしい野球をやってくれた」と話す。
創部は昭和二十一年。甲子園を見届けることなく、平成十三年に亡くなった元監督西村敏=高4卒=のもと、昭和三十八年秋には県大会で初優勝を遂げたが、惜しくも甲子園を逃している。
その後、前校長の柿沢光紀らが監督を務め、球児を育てた。質実剛健な部の雰囲気は「興誠の生徒は礼儀正しい」と他校の監督がうらやむほどだった。平成七年、平成九年と二度決勝に進出し、甲子園までの十年間は着実に実力を伸ばした。約六百人のOBの中には元巨人で沢村賞を受けた投手伊藤芳明=高4卒=、現役のプロ野球では日本ハムの小田智之=高50卒=、広島カープの林昌樹=高50卒=らが活躍している。
現在、部員は約二十人。OBの小林は「甲子園出場は一過性でも折り返し地点でもない。強い興誠野球をまたぜひ見たい」と期待を寄せる。前監督で、現在部長の村松俊明は「大切なのは高校の時に基本を学び“人間力”を養うこと。これだけはいつの時代も変わらないでしょう」と力を込めた。 (文中敬称略)
(火、金曜日に掲載。題字は興誠学園の神谷正平理事長)
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