(2003年9月24日掲載)
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 松崎高創立80周年
思い出す櫓こぎ通学
 高橋 和泉 (松崎町議会議長=昭26卒)
孫春香さんとの触れ合いに心和み、笑顔あふれる高橋和泉松崎町議会議長=松崎町石部

 平成九年の松崎町議補選で初当選、三期目の今年五月、議長に就任した高橋和泉(昭26卒)。政治のモットーは名前にもある“和”だ。「なれ合いではいけないが、議会と行政の両輪に住民を加えた三輪車で常に前進していきたい」と語る。

 重要課題の一つ、西豆三町村合併にも“和”の姿勢で臨む。「三町村最大の町として議論をある程度リードしていく必要はあるが、出過ぎてもいけない。過度な主張をし合っていてはまとまるものもまとまらない」。今後、難しい判断が続く。

 高橋が入学したのは昭和二十三年。今も鮮やかによみがえるのは楽しく、時につらかった通学の思い出だ。高橋が暮らす松崎町三浦地区は当時、「陸の孤島」。学校のある町中心部まで続く車道はなかった。

 通学路は海か山のどちらか。海では櫓(ろ)こぎの伝馬船に乗り、現松崎港を目指した。「三浦の生徒八人ぐらいが交代で櫓をこいだかな。遊びながらだから一時間強。登校したらもう腹ぺこで、弁当の時間が待てなかった」

 帰りは帰りでまた面白かった。「裸になって海岸に点在する洞くつの中を泳いだり、魚や貝を捕まえたり。部活動はしなかったが、正直そんな時間はなかった」。寄り道寄り道で、時には帰路は二、三時間かかった日もあったと振り返る。

 強い西風が吹きすさぶ秋、冬は海が荒れる日が多く、もっぱら山道で通学した。当時は高げたの全盛期だったが、一時間強の山道は無理。わら草履で山を越え、下るとすぐに、高さ八センチほどのげたに交換、学校までの道のりをかっ歩した。

 現在七十歳。約半世紀前の卒業時は高橋のような進学組は少数派。それが今は逆転した。就職組も合わせて、卒業後にはほとんどが西豆から離れる。「産業構造が大きく変わり、若者の働く職場は減った。仕方ないとはいえ、やはり寂しい」

 高橋は在校生に向け語る。「都会に出てもふるさとを思い続け、まちづくりに関心を持って。そして将来、君たちの手で素晴らしい伊豆西海岸の環境を後世に伝え、生かし、皆が住みたくなるまちづくりに力を尽くしてほしい」

(文中敬称略)
―火、水曜日に掲載します―


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