| (2003年9月30日掲載) |
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| 松崎高創立80周年 |
よく焼けた顔に洗いざらしの髪、白髪混じりのひげが映える。背広姿よりもTシャツ、短パン姿がしっくりとくる。斉藤文彦(昭42卒)は異色の商工会長と言えるかも知れない。「等身大の自分に会える」一番の趣味はシーカヤックだ。 まだ伊豆西海岸ではマイナーだったカヤックを十五年ほど前に購入。仲間を広げ、岩地海岸を拠点とした松崎町沿岸を愛好者が集う聖地に育て上げた。“日本有数のパドルコレクター”とも称される斉藤を全国、世界のカヤッカーが訪ねる。 「すべてから解き放たれた自分だけの時間。駿河湾へこぎ出すと、富士山の母の下で楽しんでいる感覚になる」。疲れた時、考え事をする時、斉藤はお気に入りの海上スポットで揺られ、心を静める。「自然からの励ましが聞こえる」。 少子高齢化が影を落とし、商工業界のリーダーに悩みは多い。「今のままでは地元経済を支える分母(人口)は縮小するばかり。中小商店はますます厳しくなる。観光業をけん引車に分母を増やすしかない」。観光人口拡大を探る。 松崎新港湾建設促進期成同盟会長も兼ね、新港の早期完成、御前崎・清水と結ぶカーフェリー航路の開設を切に願う。「県中西部や中京、関西方面からの観光客や修学旅行生の潜在需要はある。黄金が埋まった航路」。語気に力がこもる。 今の力強さとは裏腹に化学部に所属していたという松高時代。心に残るのは文化祭の仮装行列と松崎―田子間のマラソン大会だ。仮装行列では毎日遅くまで衣装作りや練習に取り組んだ。「女生徒と話せる貴重な機会だった」と笑う。 在所の松崎町岩地は当時、民宿が増え始めたころ。「まだ、うんと貧しい時代だった」。東京からの観光客が身に着けるスニーカーやジーンズにあこがれ、手土産にくれるバターなどの味に驚いた。斉藤は「早く都会へ出たい」と願った。 しかし、浮ついてはいなかった。「汗水をたらして学費を稼ぎ、高校に行かせてくれた両親に迷惑を掛けない社会人になろう」。斉藤は卒後、栄養士免許を取得し、十年間国際貨物船に乗務。その後、父が築いた民宿を継ぎ、もり立てている。
(文中敬称略)
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| ―火、水曜日に掲載します― |