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第1章 OBたちの思い(2)

(2002年10月24日掲載)
すべての関係に信頼を
外山 和夫さん

人の助けになることを一生懸命してきたと話す外山さん、今もヘルメットをかぶり、現場に立つ=愛知県豊橋市
 巨大な鉄骨が並ぶ工場で、電動ドリルの音が鳴り響く。赤外線を使った最新鋭の機器で、溶接部分のずれを確認する―。愛知県豊橋市にある「外山鉄鋼」。三十人の従業員を率いるのは、ヘルメットをかぶり、自ら現場に立つ社長の外山和夫(昭34卒、豊橋市)だ。

 高校時代は農業科に在籍。「温かく、熱心な先生ばかりだったし、友人にも恵まれた。就職当時、先輩から『お月さまのようだ』と言われた。角がなかったんだね」と笑う。自らの信念で、社訓でもある「すべての関係に信頼を持つ」は高校時代にはぐくまれた。

 部長を務めた農機クラブでは、地元農家の農機を無償修理した。「人のために」という精神は就職先の「縣鉄鋼所」(豊橋市)でも発揮され、お客のためなら残業や休日出勤もいとわなかった。「人の助けになることを一生懸命するのが自分の生き方」と話す。

 仕事のイロハを学び、「育ての親」と慕う三ケ日町出身の縣甲子二郎社長(当時)からも高い評価を受けたが、「一国一城の主になる」という夢をかなえるため昭和五十四年に退職し、会社を設立した。

「大勢の人に支えられて」事業は順調に拡大。現在、名古屋市を中心に仕事を受注、豊橋署や浜名湖遊園地「パルパル」の建築にもかかわった。愛知県鉄構工業協同組合の副理事長も務める。

 豊橋市内に自宅を構えるが、同級生が三ケ日町の樹や石で庭を造った。本籍もまだ故郷だ。「女房や子供は不便だって怒るんですがね」と苦笑いしながらも「動かすつもりはない」ときっぱり。故郷への思いは尽きることがない。

 【校史メモ】実習でつくられた作物を販売実習し、得たお金で施設をつくった。生徒は普通科で数学や法政経済を、農業科で土壌や肥料を学ぶ一方、秋の運動会で行った東西両軍に分かれた突撃演習は、華々しいショーとして地元の人気を集めた。出発時、六人いた教師らは専門外の指導にも熱心だった。校長は校名「自彊」の由来を「自ら努めてやまぬ」と常に訓示した。郷土の中核となるべく生徒職員一体となって努力した結果、大正十三年、県から「成績優良表彰」を受けた。 

(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)


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