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第1章 OBたちの思い(5)

(2002年11月6日掲載)
農業の将来を語り合う
和田 正美さん

「三ケ日の農業が持つブランド力をさらに高めてもらいたい」と、後輩たちに期待する和田組合長=三ケ日町三ケ日の三ケ日町農協
 約四十年の歴史を持つ現在の三ケ日町農協は地域産業の中核組織として二千八百七十人の組合員で構成する。平成十一年から組合長を務める和田正美(昭38卒、三ケ日町)は町の農業の発展を願って日々奔走し、時には周囲を驚かすような政策を打ちだす“名物組合長”としても広く知られる。

 実家はミカン農家。中学時代から家を継ぐ考えを持っていたこともあり、三ケ日高農業科への進学は「自然な選択だった」。クラスには後継者も多く、「地元の農業の将来についてよく語り合った」と懐かしむ。

 卒業後は、当時の教諭だった小野勝己(浜松市)の誘いを受け、助手として一年間高校に残った。この期間に知り合った農家や、トラックの荷台に乗せて実習場に連れていった後輩たちとは深いつながりが生まれた。「現在もさまざまな角度から組合長という立場の自分を支えてもらっている。助手時代の経験は大きかった」と振り返る。

 家業に入ってからは肉牛の飼育も始めた。転機は昭和四十九年。研修で訪れたアメリカの大規模牧場に触発され、「どうせやるなら全財産を抵当に入れてでも挑戦したい」とミカン農家から畜産農家への転換を決意。高校時代に野球部で植え付けられた「妥協はしない」精神で規模拡大に取り組み、「三ケ日牛」ブランドの基礎を築いた。

 現在の地域課題として、「後継者育成」を挙げる。その中でも母校の後輩への思い入れは強い。「先輩たちが作り上げた全国でも有数の農業環境を受け継ぎ、一層発展させてもらいたい」と期待している。

 【校史メモ】乙種実業学校として自彊学校から組織変更した「三ケ日実業学校」は昭和十二年に発足。同十五年には実科高女と合併し、男学部と女学部の共学校となった。このころ、日本は戦争への道を突き進み、教育現場にも暗い影が忍び寄る。しかし、地域の中核となる青年を育ててきた実業校のさらなる発展を期待する声は多かった。「より高い資格を」という地元の要望を受け、町や学校は“甲種”への昇格を県当局に訴え始める。

(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)


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