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専門は生態学。生物の生活と環境とのかかわりを研究する学問だ。「環境が人をつくる。私は良い環境で育った」と故郷を懐かしむ。 農家に生まれ、いずれは農業を―と期待されたが体が小さく、体力もなかった。劣等感からやがて「農業に向かない。大学を出て一人前になってやろう」と勉強に打ち込むようになった。 高校時代、成績は優秀で休日にはよく教師の自宅を訪ねた。ゆっくりした授業の進み具合に「教科書を最後まで終わらせてほしい」と抗議したこともあった。教師らは補講を設けたり、参考書を紹介したりしてその声に誠実に応えてくれた。 「新しい農業でひと旗揚げてやろう」と、静岡大農学部で農業害虫を研究。「根気が必要な研究が向いている」と生態学を選び、京大大学院まで進んだ。 研究室にこもりがちな教授仲間が多い中、市民講座に出向いたり、学外からの研究依頼も積極的に受ける。社会とのかかわりを大切にする姿勢は「他人とのつながりを大切にした地元の人たちの影響」と考える。研究に専念すべきという声も承知しているが「生態学という立場から、これからも環境問題について提言していきたい」と社会への情報発信に意欲的だ。 頑固一徹が身上。「みんながあきらめても、続けていれば、必ず“技”が身に付く」という。その技にはまだ磨きがかかりそうだ。 【校史メモ】乙種三ケ日実業学校が設立された昭和十二年七月、日中戦争が始まった。激化する戦争が教育現場にも影響するようになり、軍事教育の波は三ケ日にも押し寄せた。昭和十六年に太平洋戦争が始まると、地元からも出征兵士の数が激増し、教員らも次々と応召されるようになる。当時の学校行事は、戦勝祈願のために特別に許可された伊勢神宮修学旅行(昭和十七年十二月)や軍装による行軍など、戦時色の濃いものが多かった。
(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)
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