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三ケ日中三年時に春夏の県大会を連覇。町外の高校からも声が掛かったが、チームメートの大半が三ケ日高への進学を決めたことで「この仲間と今度は甲子園へ」という夢を選んだ。 「チームワークではどこにも負けない自信があった」と胸を張るように、チームは着実に成長。三年の春には練習試合で東邦(愛知県)や中京(同)といった強豪に打ち勝ち、高い前評判で夏の大会に臨んだ。 名門静岡商との一回戦は、掛川球場三塁側を埋め尽くした大応援団の声援を受け、四対二で勝利。自身も二打数二安打一本塁打の大活躍だったが、それ以上に「三、四打席目を敬遠されたのがうれしかった。自分の打撃が名門に評価された」と感じた。チームは二回戦で涙をのむが、「その後につながる自信」を得た大会となった。 大学、社会人と華々しいキャリアを残し、三十三歳で引退。現在はヤマハのカーパーツ事業に専念する日々で、「自分の野球人生は完全燃焼しました」と言い切る。高校時代に目指した甲子園は「後輩たちに託します」とも。今は、「アルプスで母校を応援したい」という夢が、いつかかなうことを願っている。 【校史メモ】太平洋戦争が本格化すると、生徒たちも農業生産を高めるため勤労奉仕に従事する時間が増えた。昭和十五年に乙種三ケ日実業学校に入学した鈴木輝美(昭21卒、三ケ日町)は「昭和十九年以降はほぼ毎日のように農作業に出掛けていた」と振り返る。「向学の精神を心の中に隠さなければならなかった」と言うように、終戦までは、生徒たちにとっても苦しい時代が続いた。
(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)
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