<9>

第1章 OBたちの思い(9)

(2002年11月20日掲載)
「教育の原点」卒業式に
加藤 友子さん

「忙しさの中にも、充実感を常に感じた高校生活でした」と話す加藤さん=三ケ日町
 愛知県の幸田高(幸田町)や豊丘高(豊橋市)の校長を務めた加藤友子(昭34卒、豊橋市、旧姓田中)は、「小学校からの夢だった」教師の道を、定時制入学後も追い続けた。限られた時間で勉強に取り組む中、励みとなったのは「自分の夢を理解し、熱心な指導を続けてくれた恩師たちの温かいまなざしだった」という。

 三ケ日中卒業後、三ケ日町職員として昼間は三ケ日中の事務に携わり、午後五―九時を高校で過ごした。昼間の疲れから「眠い目をこすることも多かった」と懐かしむ。三年時に担任の丸山和雄(故人)に進学希望を伝えてからは、丸山をはじめ、教科担当に質問を繰り返す日々が続いた。

 高校生活の中で鮮烈な思い出は、全校とは別に行われた定時制独自の卒業式。「先生たちがぼろぼろと涙を流す中で、私たちも泣きながら卒業証書を受け取った」という場面はその後、教え子を送り出すたびに脳裏によみがえった。

 生徒と教師が喜びや苦しみ、悩みを共有するという「教育の原点」が自らの卒業式に集約されていたことを「教員になってから初めて知ることができた」と話す。

 指導者として多くの高校生を見てきたが、「本質的には今も昔も変わらない」と言い切る。明日の見えない時代と言われる今、将来を不安に感じる生徒も増えているが、「明日はだれにとっても初めての日。未知の扉を自分で押し開けていく気力を持ち続けてほしい」と呼び掛ける。

 退職後二年間は静岡文化芸術大学(浜松市)の事務局に在籍した。「こちらに戻る機会をいただき、ふるさとのありがたさをあらためて感じました」と笑顔を見せる。

 【校史メモ】戦後行われた学制改革の一環として、組織・施設の大変革が行われた。そのための財政負担が大きかったため、市町村・組合立の学校は県立への移管を図った。県内の数十校が同時に、県や県議会に陳情書を提出し、県も実態調査を行った。三ケ日実業学校は昭和二十三年に県立移管、高等学校昇格が決定する。同町出身の山本弘県議(故人)の力も大きかった。

(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)


静岡新聞へ