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子供のころから勉強が得意で、特に算数が好きだった。「大学に行きたい」と普通科を選び、成績は学年トップだったが、在籍したバスケット部に打ち込んだあまり、成績の伸びは鈍った。二年生後半からは、部活動へのエネルギーを学業に振り向け、担当の教師に毎日のように質問をぶつけた。教師らはすぐには答えられない質問があっても、翌日には必ず答えてくれた。「まるで家庭教師のような熱心な教師に恵まれた」という。 高校卒業後、家庭の事情から費用がかからない防衛大に進んだ。幹部候補生学校を終え、航空整備士として十年間、徳島、下総、八戸で勤務。管理部門を経て、昇格を目指して幕僚学校、統合幕僚学校へ入校。海上自衛隊木更津航空補給所長や第三術科学校長を務めた。「頑張れば必ず報われるところが性に合っていた」と懐かしむ。 「人とのつながりが大事」と考え、高校のクラス会幹事を務めたり、仲間とゴルフやスキーにも出掛ける。「小さな学校だったが、多くの同級生が大学に進学したし、地元のためという意識が強かった。それぞれが自分の道に向かって頑張っていた」と、地道に努力を続ける姿勢が身に付いたと高校時代を振り返る。 【校史メモ】終戦直後、高校にも民主化の嵐が押し寄せ、歴史など一部の授業は一時停止され、従来の教科書の所々が墨で塗りつぶされた。戦争に協力してきた町村長や学校長が公職追放によって職を去り、その影響を受けて当時の校長も退職。県立三ケ日高は、阿部泰一郎校長を迎えてスタートした。同時に、高校の学年に達しない生徒のために三ケ日中が併設された。一方で、従来の制度のままでも卒業できたため、女子生徒で新制高校に進学したのはわずか九人だった。
(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)
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