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昭和二十七年、全国から六百校が参加した第三回全国大会で加藤隆久をクラブ会長に、加藤文夫、中沢敏郎、山本昇=共に昭28卒=らが全国優勝し、文部大臣賞、農林大臣賞をダブル受賞する快挙を果たした。これを皮切りに、同校の活動は黄金期を迎える。同二十九年、山口和代=昭31卒=が県大会優勝を、同三十年には、井口豊彦、森田忠治=共に昭31卒=らがレクリエーションの部で農林大臣賞、NHK賞を獲得し、全国優勝を果たした。昭和二十九年には文部省の研究指定校に選ばれ、全国の関係者を前に研究発表を行った。 蓄積された知識や技術は、地域にも還元された。生徒らは「移動サービスカー」と称し、オート三輪車で各地域を回り、栽培や加工技術などの研究成果を発表した。当時のクラブ会長だった森田忠治は「スライド上映会やカラオケ大会も催して、地元の人に喜んでもらった」と懐かしむ。 地場産業を発展させよう、将来の地元農業を引っ張っていこう―、強い意志を持ち、農業クラブ全盛期を築いた卒業生らは現在、山本初雪三ケ日町議会議長=昭28卒=、和田正美三ケ日町農協組合長=昭38卒=など、同町の中核を担っている。 【校史メモ】発足した当初、校章が問題になった。教職員らが相談した結果、地域産業の中心であるみかんの葉を図案化したこれまでの実業学校の校章に、高等学校の「高」の字を配した現在の校章が制定された。 同年秋には、校歌が制定された。生徒から詞を募ったところ、夏目友文=昭27卒=の歌詞が候補となり、父親で、同校教諭の隆文(故人)が手を加えて採用された。作曲は当時、磐田北高の教頭で、作曲家としても有名だった中島静(故人)が担当した。
(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)
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