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第2章 部活動と名物教師(2)

(2002年11月28日掲載)
生徒の研究活動を支援
農業クラブ

磐田農業高校長当時の藤田良明元教諭。三ケ日高には個性的で熱心な教諭が集まった 
 三ケ日高の農業クラブが全盛期を迎えた背景には、生徒の研究をサポートする教師の姿があった。当時の林幸一校長(故人)をはじめ、藤田良明農場主任(豊橋市)、木下重一農業部長(故人)らは「全国の農業教育をリードする」という気概に燃え、農業教育推進に尽力した。

 藤田は昭和二十三年、三ケ日高に赴任すると生徒相互の協力体制作りや地域分会活動を活発化させた。昭和三十五年に磐田農業高に赴任するまで、次々とクラブ活動に新機軸を打ち出し、活動の陣頭に立った。

 全国学校農業クラブ連盟第六回全国大会では、パントマイム「若き力」を作詞作曲、生徒が振り付けを考え、NHK賞を受賞した。「絶対、日本一を取れ」と藤田がげきを飛ばした当時のクラブ会長、森田忠治=昭31卒=は「放課後も夏休みも練習した。受賞は先生と生徒の力が結集した結果」と振り返る。

 富山県出身の藤田は、三ケ日町民の人柄の良さに感銘を受けた。当時の生徒を「礼節を重んじ、信義をもって活動していた」と評価し、「あれほど活気に満ちた学校はほかになかった。素晴らしい学校だった」という。当時の卒業生は「藤田先生には質実剛健の意味を教えてもらった」と懐かしみ、木下を「柔和で威厳があった。対照的な二人だったが、同じくらい熱意があった。世界一の先生だった」と胸を張る。

 ほかにも新任で着任し、兄のように親しまれた小野勝己(浜松市)など、個性的な教諭がクラブ活動に情熱を注いだ。当時の卒業生や教職員らは「農進会」をつくり、今も集まって思い出を語り合っているという。

 【校史メモ】昭和二十三年九月、働きながら学ぶ生徒のために定時制課程が開設された。発足当時は「土運搬」という特殊な行事があった。毎週数回、学校裏の山の斜面から土を取り、運動場にあったくぼ地を埋めて校地を造成する作業で、全校生徒、教職員が一丸となって取り組んだ。地道な活動の結果、同年十月、校舎北側を拡張して木造二階建て六教室が増築された。翌年には玄関や廊下の板張り工事が施工され、次第に設備が整っていった。

(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)


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