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第2章 部活動と名物教師(4)

(2002年12月5日掲載)
協調性と可能性伝える
ボート部

三ケ日高ボート部を育てた行司さん。現在でも時間を見つけては高校生の指導にあたる=天竜市内  
 ゼロからスタートした三ケ日高ボート部を、全国で活躍するまでに育て上げた行司伸吾=浜松市=は今年三月、二俣高を定年退職し、天竜市教委に非常勤職員として勤める。現在は、来年同市で開かれる国体ボート競技の準備に余念がない。

 岡山県出身。地元の大学でボートに励み、昭和四十年四月、新任教師として三ケ日高に赴任した。美しかった猪鼻湖を最初に見た時、「いい環境だと感じた」と、当時を振り返る。

 六人で始まった活動は、四十二年に部として認められ、四十四年に初めてインターハイへ出場した。ルールやこぎ方などの指導はもちろんだが、ボートを通じて一番伝えたかったのは「協調性と可能性」だった。

 一期生の藤原孝雄=昭43卒=は、当時の行司を「熱血漢」と表現する。「厳しい指導でしたが、新鮮味にもあふれてました」とも。「最初のころは若かったこともあり、『おれに付いてこい』という感じだったんでしょうね」と笑う。

 三ケ日高在籍は十五年。四十七年からは女子も受け入れ、「勝つことよりも、全員で部を作り上げる」ことに重点を置いて指導した。「三ケ日で多くの生徒にかかわり、教師としての価値観を作れた。自分自身を育ててくれた場所です」と言い、その経験を湖西高、二俣高でボート部立ち上げに生かした。

 今年十月、退職祝として十数年ぶりにOB会「いのはな会」が開かれた。河合幸夫=昭45卒=、高橋重則=昭51卒=、河部好志=昭54卒=の三人が中心となって企画し、百人が足を運んだ。「本当に懐かしかった」と目を細める。ボートを通じて生まれたきずなが、今でもつながっていることを誰よりも喜ぶ。

 【校史メモ】学校施設や教員が充実したことから、昭和二十五年七月、地元の要望を受けて農業についての「学校開放講座」が始まった。生産者に門戸を広げることで、地域における指導者の育成を図る狙いがあった。昭和二十九年度まで続き、地域産業、特に柑橘農業の発展に貢献した。

(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)


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