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昭和三十三年、三ケ日町只木の石灰岩採石場で、東大の鈴木尚教授を中心とした発掘調査団が約二万年前の旧石器時代(昨年、約八千年前の縄文人と判明)のものと思われる前頭骨や大腿(たい)骨など骨片七個を発見した。この付近に人間(三ケ日人)が住んでいたことの貴重な証拠となり、日本最初の原人頭骨の破片として話題となった。 そのきっかけをつくったのが、当時三ケ日高の郷土研究部(現在は廃部)顧問の高橋佑吉(故人)。採石場で働いていた地元住民が骨片を発見し、学校に持ち込み、高橋が東大に骨を送ったことから、発掘調査が始まった。 発掘作業を支えたのが高橋と郷土研究部員ら。当時、約五十人在籍していた部員は川の砂をすくい、シャベルで地面を掘りながら骨を探したという。入部動機を「一番楽そうなクラブだったから」と、冗談混じりに話す浅野雅義=昭36卒=は、放課後も夏休みも返上で発掘作業に参加した。“世紀の大発見”を前に浅野は「骨がもろくて扱いには神経を使ったが、鈴木教授に渡す時、つい力が入ってしまって壊れてしまった。あれには慌てましたね」と笑う。 顧問の高橋に加え、国語科の夏目隆文、社会科の高橋敏夫(いずれも故人)も、精力的に活動した。「作業中、先生や調査団の人から考古学や古代の歴史の話を聴くのが楽しみだった」と言う藤井寛子=昭35卒=は「和気あいあいとした雰囲気の中、作業ができた。当時は学校付近で遺跡が多く出た上、愛知県まで見学に行くなど活発に活動した。いい時代に在籍したと思う」と懐かしむ。 【校史メモ】県立移管を果たしたころは学区制が厳しく、他地域からの入学は困難だった。しかし、農業科は他の農業高と比べても柑橘(かんきつ)を中心とした施設に優れていたため、県教委の認可を受けて昭和二十六年度から、果樹コースを設置し、全県からの入学を認めた。その後の柑橘科誕生につながる先駆的な取り組みだった。
(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)
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