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県大会はもちろん、東海・全国大会の常連校。優勝や入賞を数多く果たし、全国に強豪としてその名をはせてきた。 だが、最初から恵まれた環境だったわけではない。昭和四十八年のインターハイで、部長の鈴木優=昭49卒=が優勝を、団体戦で三位入賞を果たした。 当時の練習場は自転車置き場。自転車をどかして空間を作った。「屋根付きで、雨でも練習できたのが良かった」と鈴木。照明がない中、暗くなってからも練習を続けた。当時の顧問の国松秀行(浜松市)はアーチェリー未経験者だったが、生徒らを熱心に支えた。鈴木は「仲間や先生と一緒にいるのが、何より楽しかった」と振り返る。 予算も野球部などに比べてわずかだった。「装備にお金がかかる上、矢の打ちすぎで的の真ん中が空洞になっていた。もっと予算が必要だった」(鈴木)ため、生徒会で予算の増額を要求した。「まずは実績を」との返事にインターハイ連続出場、三年次には前述の成績で応え、予算は倍増。部員らの努力が、今の環境を作り上げていった。平成五年、相津文明=平7卒=が全国大会九十メートルで一位となり、一昨年には東海大会に出場した。アットホームな雰囲気で作られてきた強豪の名は今も健在だ。 【校史メモ】優れた施設を持つ農業科の中で、特に誇りとしていたのが缶詰工場だった。巨大なボイラーやパン焼き窯、殺菌施設など、学校とは思えないほどの充実した機能を備えていた。生徒はここで一週間から十日ほどの農産加工実習を行い、地域農家からの委託加工も請け負った。加工科目はミカン缶詰、イチゴジャム、パン、バターなど多岐にわたった。
(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)
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