![]() | <19> |
その基礎を作ったのが、村山潔=香川県綾歌郡=。昭和五十二年から顧問を務め、それまで細かいグループに分かれていた同部を野鳥班と水質班に統合、両班が独自に研究する体制を作った。 「野鳥が多く飛来し、湖が近い環境を生かしたらこういう体制になった」と村山は話す。その狙いは当たり、昭和五十八年、野鳥班が林野庁長官賞を、翌年、水質班が生徒理科研究発表県大会で優秀賞を受賞。以来、両班ともさまざまな賞を受賞してきた。 村山が担当した野鳥班は、山々に巣箱を設置し、そこに飛来する野鳥の産卵から巣立ちまでの繁殖期を研究した。約五十個の巣箱を毎日見て産卵数を調べ、土日はテントを張って、望遠鏡で早朝から日が暮れるまで観察を続けた。 ビデオカメラを使うようになると、観察の精度が飛躍的に上がった。だが、巣箱の場所やカメラの設置方法などの基礎を作るだけで数年を要する研究は何代にもわたり、先輩が後輩にデータや手法を伝えていった。カモとヤマガラを研究した河西秀夫=昭60卒=は「自分の巣箱に鳥が来るのがうれしかった」と観察に明け暮れた日々を懐かしむ。 水質班は、県が猪鼻湖に設置した水質浄化装置の効果を調べ、県職員から助言も受けた。県と町が休耕田に浄化施設を作る事業にも参加した。部員のサポートを深夜まで行ったという当時の顧問の大谷真弓=細江町=は、「両班が互いに切磋琢磨(せっさたくま)していた」と振り返る。
【校史メモ】昭和二十年代後半、農村の花嫁不足が叫ばれ始め、農家に嫁ぐ女性の養成を目的とした家庭コースが各校に設置され始めた。三ケ日高農業科にも家庭コースが設置され、二十七年度から初めて女生徒の募集が行われた結果、最初に四人の女生徒が入学した。これ以後、柑橘科に統合される三十八年三月まで募集が続けられ、授業やクラブに特色ある活動が展開された。
(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)
(水、木曜日に掲載します)
|