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第3章 地域と歩む(4)

(2003年1月23日掲載)
作業効率化に取り組む
農業発展

ホームページ「オレンジ共和国」で三ケ日町とミカンを世界に発信する川崎さん 
 道路沿いにミカンの木が立ち並び、収穫期には甘い香りが町全体を包む三ケ日町。ミカン栽培を町の基幹産業に育て上げ、全国的に有名な「三ケ日ブランド」を築いてきた背景には、三ケ日高卒業生らの活躍がある。

 「農業が魅力的でなければ後継者は育たない」と後藤善一(昭49卒、同町)は断言する。家業のミカン農園を継ぐと、果実の積み降ろしや貯蔵箱の積み方に統一規格を設けて機械を導入し、今まで手作業だった単純労働の省力化、効率化に取り組んだ。平成十三年に完成した農協の選果場の自動化システムには、後藤のアイデアが取り入れられているという。

 三ケ日町とミカンのPRのホームページ「オレンジ共和国」代表、川崎芳隆(昭47卒、同町)。作業手順の紹介やミカン料理のレシピが好評で、海外からのアクセスも多いという。川崎は「三ケ日ミカンは世界にも通用する」と自信たっぷり。仲間とミカン瓶詰やみかんワインの開発も行い、評判を呼んでいる。

 清水理(昭33卒、同町)は高級ブランド「ミカエース」や農協キャラクター「ミカちゃん」を開発した。JAみっかびの組合長、和田正美(昭38卒、同町)が基礎を築いた三ケ日牛は土壌改良にも活用され、ミカン栽培にも役立っている。

 農業改良普及員だった井口靖也(昭33卒、同町)は、各地で新技術の普及や地域づくりに取り組んできた。時代と農村の変化を見てきた井口は「どこでも後継者不足は深刻。総合的に省力化を図ることが課題」と町の将来を案じる。だが、町の産業に誇りを持って働く卒業生らの表情には、その不安を吹き飛ばす力強さがあふれている。

 【校史メモ】昭和三十年代後半、日本経済の発達とともに商品作物の単一大量生産化が進んだ。三ケ日高にも柑橘に関する高い知識と技術が求められ、昭和三十八年、農業課程を柑橘課程に変更して専門性を高めた。地域の支援も受け、施設設備も充実した。

(文中敬称略、題字「自彊不息=じきょうやまず=」は後援会長の鈴木浩太郎三ケ日町長)


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