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 元気な農業(3) 園芸(上)

最上級の甘さを全国へ

 「まろやかでほんとに甘いんだよ。最高な気分になれるね」。自ら品種改良を手掛けたキウイ「レインボーレッド」の実を手に、小林利夫(昭13卒)は満足そうな笑顔を見せる。七十九歳の今も、家族とともに富士川町南松野で栽培や品種改良に力を注ぐ。小林が作るキウイは「上品な甘さ」と評判が高く、東京の高級ホテルなどでデザートとして珍重される。

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丹精のキウイを見つめる小林利夫さん=富士川町南松野
 キウイ栽培は昭和四十年代後半から。それまではミカン、米、麦などを栽培する複合農家だった。小林は「キウイはビタミンCが豊富で体にいいし、すっきりした食味もいい。これから絶対にはやる」と確信。数年間掛けて、一・五ヘクタールの田畑をすべてキウイ畑に替えた。キウイは当時、県内では南伊豆の一部で作られていただけで、全国的にもまだ珍しかった。

 「レインボーレッド」は原産地中国系のキウイ三十品種以上を根気強く交配し、五年ほど掛けて見いだした。種の周りが赤く、外見が美しいうえ、糖度は十六―十九度。一般的なヘイワード種の十三―十五度に比べても高く、メロン並みの甘さだ。小林は「県内の人たちにもたくさん食べてもらいたい。生産者も増えてほしい」と願う。十月中旬すぎから「富士川楽座」など地元での販売にも乗り出す。

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梨の木一本一本の状態に気を配る植松章さん=富士市厚原
 富士市厚原の植松章(昭35卒)は「うまい富士梨(なし)」の宅配で、北海道から沖縄まで全国にファンを持つ。「豆腐でいうなら木綿と絹の違い。口の中ですっと溶ける感じで、全くかすが残らない」と植松。甘さはもちろん、食味の良さには絶対の自信を持つ。

 昭和六、七年をピークに隆盛を極めた「富士梨」ブランド。当時は木箱いっぱいに積まれた梨が富士駅から全国へ運ばれたが、今や専業梨農家は市内に数軒が残るだけ。植松はうまい富士梨の伝統をしっかりと守りつつ、さらに上質な味を目指す。

 「うまさの秘けつはせん定。そこで九分通りは決まりだね。木には皆、個性があり、実の成り方も全く違う。それぞれに最も合ったせん定をしてあげることが大事」。毎日、木の状態を見て回り、一本一本とのコミュニケーションを欠かさない。  脱サラ後に父の梨園を継ぎ、二十五年。当初は宅配が二割で、残りは農協などへ出荷していたが、今はすべてが顧客への宅配。一個二百円から五百円と決して安くはないが、客が続々と増え、毎年注文に応じきれない状態だ。「少々高くても納得して買ってもらえる。期待にこたえるためにも手を掛けた良い物を作り続ける」。植松のかたくなにまじめな梨づくりは、校訓「誠実勤勉」を地でいく。

 (文中敬称略)

 【注】カッコ内は卒業年。


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