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 元気な農業(5) 畜産(上)

開拓精神で事業を拡大

 全国有数の酪農地帯として知られる朝霧高原。富士山西麓の標高七百メートルから千メートルに位置する火山土壌の開拓は、終戦直後の昭和二十年秋から本格化した。戦地から引き揚げた地元民のほか山梨や長野など全国から三百人以上が入植し、「乳と蜜の流るる里」の建設を夢見た。

 富士宮市人穴で牧場を営む佐々木康(昭42卒)は昭和二十三年生まれ。開拓の厳しさや、酪農経営の難しさを目の当たりにして育った。「正直、継ぐのはいやだった」と佐々木。大学では獣医資格を取得し、衛生関係の公務員を志したりもした。

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高山秀司さん自慢の種牛「高富士」は高齢ながらまだまだ現役だ=富士宮市宮北町
 大学卒業の前後、開拓に汗水を流した父二六が病に倒れると、「親父の夢を引き継いでやることもおれの仕事かな」。佐々木はもう迷うことはなかった。「今は天職とさえ思うし、子供にも継がせたいと思えるようになった」と笑顔を見せる。

 佐々木は現在、経産牛四十五頭と子牛三十頭、繁殖和牛六頭を飼育する。牧場を先代の二倍の規模に育て上げ、富士開拓農協診療所の初代獣医師も務めた。数年後には、東京農大四年の長男大(平8卒)が戻る予定。「経産牛を百頭ほどに増やしたい」と親子二人三脚の畜産を目指し、新しい牛舎の建築に向けて準備に取り掛かりだした。

 高山秀司(昭43卒)が経営する「フジヤマブリーダーズ」は牛精液の宅配で肉牛、乳牛改良に貢献し、全国に名を知られる。高山自慢の和牛「高富士」の精液は良質なF1牛(ホルスタインとの雑種肉牛)を生むと評判だ。平成五年、「第一回和牛F1共進会」に出品された「高富士」の子五頭は純粋和牛にもなかなか出ない「A―5」の評価を得て、四頭が最優秀賞、優秀賞などを受賞した。

 「友人から『いい血統の子牛が生まれたよ』という連絡が入れば、全国どこへでも飛んでいく。雄牛の将来性を見極めることが一番大切」と高山。抜群の行動力で見つける種牛はこれまでことごとく当たっている。ホルスタインのベルボーイは昭和六十三年、乳脂量の改良で日本一の評価を受け、強い要請で家畜改良事業団に払い下げた。高山が供給する最高級の種は体型や模様だけでなく、乳質にもこだわるトップブリーダーズたちが「日本一」と口をそろえる。

 宮農卒業後、人工授精師の国家資格を取り、十九歳で祖父の代から続く受精業を継いだ。宝町から宮北町に移転したため牛舎作りからの出発だったが、持ち前の行動力と開拓精神で着々と事業を拡大。十年前に株式会社を設立するまでこぎ着けた。「高富士」の直系二世も牛舎入りし、高山の最高級の種作りへの夢は大きく膨らむ。

(文中敬称略)

 【注】カッコ内は卒業年。


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