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昭和四十七年ごろ、家業の茶農家を継いで間もない佐野元彦(昭40卒)=富士宮市下条=の心に「マスクや手袋をしないと散布できないような農薬をなぜ口に入るものに使うのだろう」と疑問が沸き上がった。
県内の五軒の茶農家などでつくる勉強会「有機茶生産者会議」のリーダー的存在。目下の夢は、実習生を積極的に受け入れ、佐野の無農薬有機農法の後継者を育てることだ。「安全で高品質なお茶を適正な価格で売り、お客さんたちの健康に役立ちたい」と力を込める。 佐野は無農薬有機農法でもう一つの大きな収穫を得た。それは、人と人とのつながりだ。有機農法と取り組む人とのつきあい、販売を通した消費者との出会いなど全国、世界へと人脈が広がった。毎年十一月に自宅で開く感謝祭には、三百人から五百人の友人や知人が集う。「農家に生まれて良かった。幸せを満喫している」。充実の笑顔がこぼれる。
木村三郎(昭33卒)は富士市島田町でお茶の自園自製自販を行い、直売店「木村園」を開く。昭和四十七年ごろ、父から継いだトマトやキュウリなどの施設園芸から茶へと転向。その後わずか十年ほどの間に、全国茶品評会で一等一席農水大臣賞(昭53)、県茶品評会一等一席農水大臣賞(昭58)など立て続けに多くの賞を獲得した。 “がさっ茶”とも称され評価の低かった富士のお茶、しかも、木村の土地は水田質だった。「良いお茶なんてできるはずがない」と揶揄(やゆ)されたこともあった。木村は「素晴らしい仲間との出会いがすべてだった」と言い切る。富士や沼津の若手生産者の「東部良質茶研究会」で得たノウハウが木村のお茶を育てた。 木村のお茶は半分が手摘み、半分がはさみ摘み。仕上げは手もみ。手作業を重視する。手間暇掛けた逸品は贈答用に重宝がられる。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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