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 歩 み (2) 「学校の変遷」(下)

農業激変が学科に反映

 戦時色が濃くなった昭和九年度の入学式。五代校長浜田襄太郎は「農は国の大本である。国家目的に副ううべく務めよ」と訓示し、生徒たちに農村指導の中心人物「農士」となるよう求めた。国力増強のためと食糧生産が重んじられ、米栽培、製茶、養蚕、植林などの実習が繰り返される一方で、軍事教練も幅を利かせるようになった。

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校舎は築後36年と古くなったが、「富士山」は変わらぬ姿で見つめてくれる
 昭和十七年、大宮町は富丘村と合併し、富士宮市が誕生した。校名は県立富士宮農学校に変わり、生徒は軍需工場での勤労奉仕に駆り出されるようになる。北海道の農業支援(援農)に加わり、草原の開拓や牧草刈り、バレイショ掘りなどに汗を流した生徒もいた。

 昭和十九年、北海道常呂郡幡野村に派遣された柏木昭二(昭20卒)は「北海道の大地は見渡す限りの広さだった。馬にすきをひかせて朝から晩まで開墾に熱中した。現地の人たちには戦時下でありながらとても親切にしてもらい、厳しい仕事だったが良い思い出として残っている」と話す。

 終戦後の教育改革で昭和二十三年、新制高校富士宮農業高等学校となった。定員百五十人、農業科のみの再スタートだった。

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農業高校ならではの農場実習。収穫した真っ赤なトマト

 昭和二十五年、女生徒十八人が初めて入学し、婦人の教養向上、農村の生活習慣の改善、合理的家庭経営の実践を掲げた農村家庭科が発足した。一般と農業科目に加え、被服や作法、食生活などを学んだ。後に家庭科、生活科学科と名称を変えた。

 今は福祉関係の就職者や看護学校・短大などへの進学者が目立つが、農村家庭科、家庭科時代の卒業生は農業を重要視した。昭和四十七年度の調査では、卒業後に農業をやりたいという女性が九二・五%。県内の農業高生活科平均が一割程度だったから周囲を驚かせ、新聞報道もされた。

 伝統の農業科は、富士地区の農業形態の変化を追って、改編を繰り返した。養蚕別科、林業科が存在した時期もあったが、現在は園芸、畜産、農業土木、食品流通の四科。それぞれに特色ある教育内容を持つ。園芸科は園芸作物の栽培のほかバイオ実習などを取り入れ、畜産科は家畜の飼育と畜産物の利用、動物について学ぶ。農業土木科は農地の保全・改良に必要な測量技術を習得する。

 生産や加工、流通システムを学ぶ食品流通科は昭和六十一年、全国で初めて設置された。インターネットを使った情報収集や、パソコンでの仕入れ・在庫の管理など情報社会に対応したカリキュラムを組む。就職先は食品工業、流通業、大手スーパーなど幅広い。

 (文中敬称略)

 【注】カッコ内は卒業年。


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